毎日が告別式

人生どん詰まり元芸大生のブログ

あなたのままでいいよって言われたかった。「さかなのこ」ネタバレ感想

 世界が希薄になる感覚がする。劇場と稽古場以外にいる時、世界が希薄になる感覚がする。例えばバイト先で皿を洗っている時。例えば区役所であれやこれやと手続きする時。明日も明後日も稽古は無くて、演劇が出来なくて、でも生きるためにはお金が必要だから、それ以外にも生きるために必要なものは色々あるから、生活に社会に向き合う瞬間。世界が希薄になる感覚がする。世界は色や音で溢れている筈なのに、なんだかぱっとしない色に見えて、霞んで見えて、耳は嫌な音ばかりを拾う。嫌な刺激ばかりを集める。何のために生きているんだろうと思う。演劇が演劇が演劇が恋しい。

 

 という訳でかれこれ十年以上演劇の虜です。高一で演劇に出会って以来、ずっと演劇のことばかりを考えて生きています。ずっとずっと演劇のことばかりを考えて生きています。そんな私なので、今回観た映画「さかなのこ」は滅茶苦茶に響きました。ずっとずっと魚の事ばかりを考えているさかなクンの映画です。それはもう響きました。

 さかなクンの半生を綴った映画です。ミー坊(さかなクン)は子供のころから魚が大好きで、そればかりを考えて生きてきました。周りからは変人扱い。父親には「普通じゃない」と言われ、教師からは「魚が好きなのはいいけど、もうちょっと勉強しないと」と言われる。しかしミー坊はどこ吹く風で、大好きな魚の事に熱中し続ける。そしてミー坊のお母さんも、それを否定しない。「あの子はあの子のままでいい」「あの子は魚が好きなんです。だからそれでいい」そう言って、ミー坊がタコに興味を示した時はタコ料理を毎日作り、水族館にも付き合い、魚が好きな事を決して否定しない。

 

 私もそう育てられたかったな、と思いました。大学生の頃、友人がスマホを見ながら泣いていて、何事かと聞いたら「あなたは生きてるだけでいいのよってお母さんからメールが来た」とぽつり。えっ、いいなーと思ってその話を自分の母親にしたら「生きてるだけでええ訳があるかい!」と言われました。

 ミー坊のお母さんは、ミー坊の好きな事を尊重して、それを支えました。私の母親は、私の将来を案じて、好きな事以外も私にやらせました。私はずっと不登校になりたかった。でも許してもらえませんでした。どちらが正解とか、そういう話ではないと分かっているのだけれど、生きるのが辛かった。あの頃無理やりにでも嫌な事を沢山したから、今多少は根性が付いた。なんとか一人暮らしも出来ている。でも、生きるのが辛かった。あなたのままでいいよって言われたかった。そのままでいいよって言われたかった。生きてるだけでいいよって言われたかった。

 

 だからこの映画は、本当に私に響きました。好きな事ならいくらでもできる。でもそれ以外のことは全くできない。ミー坊は私のようだと思いました。

 学生時代のミー坊は、ずっと笑顔です。大好きな魚と戯れて、ずっと笑顔。けれど上京し、働き出してからは少しずつ笑顔が消えていきます。勤め先の水族館で、上司からの指示を「はい、はい、はい」と返事をしながらも脳が拒絶する瞬間。勤め先のすし屋で、エビを剥き続けふと意識が剥離する瞬間。世界が鈍くなっていく感覚。好きな事が出来ていた頃とは違って見える世界。思考は鈍り脳内にはどんよりと雲がかかる。そんな感覚。その全てに見覚えがありました。上京してからの私でした。演劇じゃ飯が食えない、だから演劇の為にバイトをするのだけれど、世界がどんどん希薄になっていく感覚。あまりにも見覚えがありました。気づけばスクリーンを見つめながらぼろぼろと涙を溢していました。

 魚が好きだから、魚と関係のある仕事に挑戦する。けれど好きなのは魚であって、水温を計って記録を付けたり、エビを剥き続けたり、そう言う事がしたい訳ではない。けれど生きて行くためには仕事が必要で、けれどその仕事を続けていると心がどんどんすり減って行く。

 私は演劇が好きです。演出と劇作が好きです。けれどそれじゃご飯が食べられないので、演劇と関係のある仕事に手を出して、でも全然役立たずで、怒られて、怒鳴られて、脳みそは「これ以上傷つかないように」と勝手にシャットダウンする。あの感覚。一番したい事は明確にあるのにそれができない苦痛。三人姉妹のイリーナの言う「本当の美しい生活から遠のいて行く」感覚。あまりにも見覚えがありました。

 だから中盤以降はもうずっと泣きっぱなしで、「いいなあ」といっぱい思いました。いいなあ。あの子はそのままでいいって、言われたかったな。いいなあ。私も演劇だけして生きていきたかったな。いいな。

 

osakanafurby.hatenablog.com

 

 昔書いた記事です。ドリーを発達障害者と見たファインディングドリーの感想です。ドリーはそそっかしくて沢山ミスもするけれど、周囲が適切な接し方をすると途端に活躍し始める。

 今回みた「さかなのこ」も同じだと思いました。魚の事以外てんでダメなミー坊に、周囲は適切な接し方をします。ミー坊が魚好きのままでいられるように接します。魚好きなミー坊だからこそ出来る仕事を振ってあげます。すると他の職場では死んだ目をしていたミー坊は、途端にキラキラと輝き出しました。ファインディングドリーの後半と一緒でした。優しい世界だな、美しい世界だなと思いました。

 私とは縁遠い理想の世界。その時はそう思いました。けれど案外そうでもないと、今日気づきました。今日。つい数時間前、バイト先で死んだ目をしてサラダを作っていたら、店長に「鞄作ってくれない?」と聞かれました。コロナ禍で裁縫スキルが爆上がりした私は服が作れます。鞄が作れます。心が死なない好きな作業です。

 その店長が私にハンドメイドのオーダーをするのはこれで三回目です。勿論お金ももらえました。「あっ、これ、私が欲しかった優しい世界だ」とその時気づきました。そしてよくよく考えてみて、例えばもう一つのバイト先で、接客がてんでダメな私がデザートメニューを任せてもらったり、人様の劇団で衣裳のデザインをさせてもらったり、「ちょっとでも演劇と繋がれるように」と仕事を回してもらえたり、お金がないから次回公演が出来ないと言っていたら支援してもらえたり、そんな記憶が次々出てきました。

 勝手に自分の生きている世界はしょっぱいと思っていたけれど、東京って最悪だと勝手に思っていたけれど、私が見えていなかっただけでした。ミー坊のまわりに沢山の理解者がいたように、私の周りにもたくさんいるのだな、と気づかされた今日この日。世界からの優しさを忘れないようにしたいと思いました。生きるぞ。諦めないぞ演劇を。

 

 以下細かい映画の感想。

さかなクンの半生を綴った映画なのに主演はのん。女優。けれど違和感はありませんでした。最初キャスティングを聞いたときも、あー、のんなら大丈夫だろうなと勝手に納得していました。本当に大丈夫でした。いや想像以上でした。のん演じるさかなクンは本当にさかなクンでした。

 そもそも私はさかなクンが大好きで、YouTubeもチャンネル登録しているんですがのん演じるさかなクンは本当に純度百パーセントさかなクンでした。何の違和感もなかった。あとだんだんかっこよく見えて来るから不思議。学ランが似合う。

・ミー坊のお母さんがイメージ通りでよかった。育てられたい。

・前半長ない? タコを掴まえるくだりとか、不良とのギャグシーン? とかちょいちょい監督の自我を感じた。

・ミー坊と一時同棲していた女の人(名前忘れた)の背中を映すシーンが数秒長い気がする。あえてその尺で「この人には何かあるんだ」って観客に示唆する意図だとは思うんだけど、こちらとしてはさかなクンの人生を追いたいのでその女性の人生にはそこまで興味がないんだな

・雰囲気映画だったら水槽の中にごちゃごちゃ装飾入れるんだけど、冒頭のハリセンボン? がベアタンクで飼われてて良かった。もうその瞬間から魚に関してはこの映画信用出来るって思った。(あ、私もフグ飼ってます)

・魚が可愛くてにっこにこ

・いいレストランで食事するシーン。親友が彼女にキレる瞬間を映さず表情の推移だけで見せたの良かった。

・離婚したとは一言も言ってないのに、母ちゃんが帰宅してきた瞬間そうなんだと理解出来てよかった。レストランのシーンもそうだけど、観客を信用してるって感じがした。クソ映画だと全部説明しちゃう。

・中盤からの畳みかけがすごい。前半冗長だったのは中盤以降観客を引き込むためにわざとやってたんか? ってくらい中盤からが凄い。

・のんが可愛い

・上京してからずっと顔が死んでたミー坊が、「周囲の適切な接し方」でキラキラしだす瞬間が本当に美しい。カットが綺麗。

さかなクンが水槽と間違えて吹奏楽部入った話もやってよ!

・ミー坊が謎の女とその子供と海に行くシーン「普通って何?」で号泣。

・監督のギャグセンス好きよ

・シーンの切り替えがなんかちょいちょい間延びしてる

・バタフライナイフ指導って何やねん

・劇伴でさかなクンバスクラやってて最高

さかなクンのノンフィクションだと思って観に来たのでぎょぎょおじさんの存在はちょっと混乱する

・のんが可愛い(何億回でも言う)

・中盤以降泣き過ぎて化粧どろっどろ

 

とりあえず以上!

人を選ぶ作品だと思います。退屈な人は多分寝ちゃう。でも響く人には本当に響く。

この映画を作ってくれて、ありがとうございますという気持ち。この作品と出会えてよかった。この作品に救われる人はきっと大勢いると思います。

観てよかったです。ギョギョ!

 

↑うちのふぐの助です。かわいい

 

 

 

竜とそばかすの姫 感想(ネタばれあり)

みた。細田守作品は基本的に好きではないのだが、中村佳穂を人質に取られたので観てきた。(あんまり前向きな記事じゃないのでファンの方は読まない方がいいです)

 

細田守の映画は、なんというかこう、肌にあわない。よくできてるな、すごいなとは思うのだが、なんだか好きになれない。単純に好みの問題だと思う。

時をかける少女はめっちゃ泣いた。最後に観たの10年以上前だけど、めちゃくちゃ悲しい気持ちになって「二度と観ない」と決意してそれ以来本当に観ていない。

サマーウォーズも見た。普通に面白かったけど好きではない。おばあちゃんが電話しまくるシーンとか「邪魔じゃね?」とか思ってしまう。

バケモノの子も見た。これは途中から全然面白くなかった気がする。あんまり覚えてないけど。あ、ヒロインがすごく鬱陶しかったのは覚えてる。

おおかみこどもと未来のミライは周りの評判を聞く感じ無理そうなので観ていない。

 

そんな感じなので、今回の「竜とそばかすの姫」もあまり期待せずに行った。中村佳穂の歌を爆音で聞きにいこくらいのつもりで言った。

結論から言うと、楽しめた。たぶんもう一回行く。これまでみた細田作品の中では一番好きかもしれない。作中、突っ込みどころは多分にある。それはもうものすごくある。「でもまあ細田作品やし」って思いながら全部スルーしながら観ていたので最後まで楽しめた。(すみません失礼ですみません)一緒に観に行った友人は変な顔をしていた。上映後、「もっかい行く」って言ったら「えっ」って言われたのでたぶんそういうことなんだと思う。

 

良かった点。音楽。とにかく音楽がいい。中村佳穂の歌を爆音で聞けるというだけでもう1900円の価値はある。映像も綺麗。仮想世界に初めてログインするときのわくわく感とか、映像演出も素敵。たぶんもう一回行く。次はIMAXで見る。

 

悪かった点。脚本。とにかく脚本。

突っ込みどころ多すぎ。そうはならんやろってシーン多すぎ。いらん台詞多すぎ。「キャンセルか……オッケーか……とか」その台詞はほんまに必要なんか。観客の想像力無視しすぎ。あと台詞のリズム感がまったくない。なんか聞いててもたもたする。あとセリフ回しが古臭い……?

 

U(仮想世界)の作りこみも曖昧。サマーウォーズより曖昧。どんな世界でどんなルールなのかがまったくわからない。バーチャルな空間だから何でもできるってのじゃなくて、例えば家を燃やされるのはマインクラフトで言う家を爆破されるみたいなこと? AIはつまりNPC? でもその割に人格がはっきりしていてほかのアバターと差別化がされていない。敵のヒーロー戦隊みたいなやつは何? あれこそNPCで良くない? 有害なアカウントをBANする感情を持たない部隊みたいなのでよくない? 安っぽい正義を振りかざす相手を論破するみたいなあのシーンいる……?

 

キャラクターがみんなステレオタイプ。ヒーロー戦隊のボスみたいなのがその最たる例。でもその割に、主人公や一部のキャラクターは感情の機微をしっかり描写しているから、受け手として、ひとつの世界として受け取りづらい。

 

主人公の作りこみはすごい。なんでこんな性格になってしまったのかという理由を懇切丁寧に描写しているので、みていて感情移入はしやすい。ルカちゃん(スクールカースト上位の女子)にラインを送るシーンとかは結構ぐっときた。時かけの時も思ったけど、こういう感情の描写めちゃくちゃ上手い。ほんとに心が痛くなる。

 

一緒に観た友人が「これ竜いらなくない?」と言ってたんだけど、ぶっちゃけいなくても話は成立する。自分に自信のない少女が、Uの世界を通して自分に自信をもって、最終的に素顔で歌えるようになる、くらいシンプルな方が良かったのかもしれない。

この作品は、なんというか、やることが多い。

「主人公の母親が、他人の子供を助けるために、自分をおいて死ぬ」→「母が死にに行った理由がわからない」→「トラウマで歌えなくなる」 という出題編みたいなのがあって、

「Uの世界で歌えるようになる」→「竜(弱者)と出会う」→「母が自分を置いて他人を助けた理由を理解する」→「トラウマの克服」 という解答編みたいなのがある。

加えて好きな男とのあれこれとかもあって、これがもうとんでもなくややこしい。多重構造にしてるのは、主人公の人間性の深みを増すためなんだと思うけど、この尺でやるにはちょっと詰め込みすぎだ。主人公がUの世界で素顔で歌って、母ちゃんの回想とかが入って「あの時の母ちゃんはあんな気持ちだったんだ!」みたいに理解するシーンがあるんだけど、あれ、いる……?

 

なので先述のように、そもそも竜がいない話(トラウマの克服にスポット)か、そもそも母ちゃんが死んでいない話(竜との話にスポット)にした方が、観客として「どこを見たらいいか」がはっきりしていて楽だったのになと思う。それかいっそ前後編の長尺にするか。(あたしの好みの話よ……)

 

あとアレ、名前忘れたけど主人公の幼馴染のイケメン。あの人もいなくても良い。(大好きだけども)あのイケメンがいることによって、主人公の女子高生ならではの感情が際立って、より感情移入しやすくはなるんだけどもね……。

主人公と竜は美女と野獣のオマージュ。言うまでもなく美女と野獣は恋愛関係なんだけども、主人公と竜の関係はそうじゃないのよね。美女と野獣を想起させるシーンをたくさん入れてて、こいつら付き合うんかなと思わせておいて、恋愛は別のところでやるのよね。さんざんロマンチックなシーンをやっといて、竜からも「大好き」とか言わせておいて、でも主人公自身は別のところでしっかり恋愛してて、竜への好意と幼馴染への好意はしっかり別物として描写されてるのね。

竜→主人公への好意は、幼いこともあっていろんな「好き」がまぜこぜになった愛なんだけど、主人公→竜への好意は、母性とか守ってあげたい気持ちとかアガペーなのよね。これをはっきり別物ですって描写したの、残酷だなぁと思った。(良い悪いの話ではなく)

あとアレ。竜と通話がつながったシーン、イケメンと抱き合って喜んでたけど、竜は現在進行形で虐待されてるのに、そこで抱き合って喜ぶのは違うでしょうと……彼を見つけるのが目的なんじゃなくて、彼を救うのが目的なんでしょともんにょり……。

 

その他そうはならんやろポイント

・虐待父を目力で倒すシーン(そうはならんやろ……)

・女子高生が一人で手ぶらで上京するシーン(いっそ車のまま東京まで突っ込んだ方がフィクションとして気持ちよかった)

・学校が高知県(あたい四国出身やけどあんな人口密度であんな部活動活発な学校ある……? って違和感がすごかった。全員標準語なのもあって、普通に都内の話だと思ってた……)

・ルカちゃんが地域放送の音を聞いて場所を特定するシーン(サマウォにも似たシーンあったけどこれはちょっと強引)

・イケメン幼馴染が主人公に発破をかけるシーン(これはメガネっ子にやってほしかった……)

・ペギースー(?)が主人公を応援しだすシーン(急すぎて感動できんて……)

・虐待父を追いやった後普通に帰宅するシーン(こここそちゃんと描写しなきゃ、観客の想像力に任せちゃいけないとこだよ一番。その場だけ助けて彼らはこれからどうなるの……)

 

その他よかったとこ、好きなとこ

・音楽、映像美

・Uに初めてログインするときのわくわく感

・ルカちゃんとカヌーの男の小芝居(間が良い……)

・コーラスサークルのみなさんのキャラ

・主人公の友達が方程式みたいなの書きなぐりながらキレるシーン

・画家の男めっちゃ好き

・主人公が素顔で歌うシーンは泣いた

・竜の少年色気あんな……

 

おわります。色々書きましたが好きな作品ではあるので多分もう一回みます。

久々に文章書いたので日本語変なのは許して……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

えんとつ町のプぺル 感想(ネタばれアリ)

スタジオ4℃を人質に取られたので、やむを得ずプぺった。

 

高校生の頃、同制作会社が手掛けた『鉄コン筋クリート』をテレビ放送で見たのだが、それがもうとんでもなく面白くて、完全に心を奪われてしまった。録画したやつを何回も何回も見た。学校から帰ったら、すぐテレビの前に噛り付いた。20回以上は見た。設定資料集みたいなやつも買った。原作も愛蔵版と通常版と両方買った。そのくらい好きだった。

 

対して、今回見た映画の原作者である西野氏のことは、あまり好きではない。いろいろとすごい人なんだろうなぁとは思うのだが、電車賃のクラファンの件やら何やらのせいで、どうしても不信感が拭えない。なんというか、自分を応援してくれている人への愛がない気がする。電車賃の件にしろその他のクラファンのリターンにしろ、私なら自分を応援してくれている人にあんな仕打ちはできない。でもまぁそれでもついていく人がいるということは、それだけすごい人なんだろうなぁとは思う。が、とにかく好きではない。

 

ので今回の映画は見送る予定だったのだが、昨日観に行く予定だった公演が中止になってしまい、急に予定が空いたので、せっかくなのでプぺった。友人と3人でプぺった。友人が「実質3プぺじゃん」とか言ってるのがめちゃくちゃ面白かった。

 

『えんとつ町のプぺル』は、急に始まった。急に始まって急にナレーションでいろいろ説明されて急に謎のオープニングダンスを見せられた。開始5分でもうついていけなかった。映画にしろ何にしろ、最初の数分は観客を世界に導入するためのとても大切な時間だと思うのだが、「はいこれはこういう映画です!」「はい今始まりました!」「はいタイトルドーン!」「はいオープニングダンスドーン!」という感じであっけにとられた。

 

ゴミ山から突然生まれたプペルが、突然踊りだすのだが、なぜ踊るのかがわからない。映画でも演劇でも、オープニングダンスは良くあるし、私も大好きで自分が脚本を書くときは毎回のようにダンスシーンを入れる。なんかかっこいいし勢いあるし始まった感が出るから躍らせたい気持ちはよくわかるのだが、観客からしたら「なんでいきなり踊るの」という気持ちになりかねない。なので、ダンスシーンを入れるときはそれなりにちゃんとした理由が必要なのだが、それが見当たらない。なぜ踊っているのかがわからない。躍らせたかったのはわかるがなぜプペルが踊っているのかがわからない。

 

それから何やかんやあって、プペルが人間じゃないということがばれて、逃げる過程で本作の主人公であるルビッチと出会って、ごみ焼却場から逃げたり暴走するトロッコに乗ったり大冒険を繰り広げる。ちなみに個人的にここがこの映画のピーク。映像がすごい。語彙がないのですごいとしか言えないのだが、爆走するトロッコの躍動感とかわくわく感とかがとにかくすごい。さすがスタジオ4℃さんやで。とにかく映像はすごい。すごいのだが、プペルとルビッチの会話が気になって気になっていまいち楽しめない。台詞がやたらと説明的なのだ。例えば、高いところから落ちそうになったルビッチが、とっさにその辺の紐につかまる。同時にプペルもつかまる。そこでルビッチが「二人もつかまったらちぎれちゃうじゃないか!」と言う。なんというか、こう、とにかく説明的なのだ。まず紐につかまった時にちょっと安心して、二人目が捕まったときにちょっと慌てたりなんだりすればいいだけの話だと思うのだが、何故かすべてを台詞で説明してくれる。ありがたいといえばありがたいのかもしれないが、余白がなくてただただしんどい。

 

そんで大冒険を終えたルビッチは、急にプペルに「友達になってくれ」と言う。ルビッチには友達がいない。母親には「ハロウィンなので友達と遊んでくる」と伝えておいたのだが、実際はえんとつ掃除(仕事)をしていた。しかし母親を心配させたくないので、実際に「友達」を連れて行って親を安心させたいという算段なのだが、ここも急なので「なんでいきなり友達!?」と面食らう。いや一応、ルビッチがプペルに色々質問して、こいつなら身寄りもないし友達役にうってつけだと判断したうえで「友達になってくれ」と持ち掛けているし描写もあるのだがその描き方が不親切なので、急だと感じてしまう。間がない。とにかく間がない。いやあるにはあるのだがテンポが一定なので思案の間を感じない。ルビッチがプペルに色々質問して、あれこれ考えた上で(間)、よしと決意して(ここで息が入る)、「友達になってくれないか」と提案する。いやまぁやってないことはないのだが描写が雑なので、彼らに人間味を感じない。感情移入ができない。

 

それからまた何やかんやあって、プペルを家に連れ帰り、職場にも連れていき、上司に頼んでプペルに仕事を与えてもらう。ここも何故ルビッチがプペルを働かせようとしたのかよくわからなかったな……行くところもないから彼なりに自立の手助けをしたかったのかな……できた子供やな……。

 

そんで異端審問官なる敵から隠れつつ、彼らの日常が始まる。えんとつ町はその名の通り煙突まみれの町で、その煙のせいで空はまったく見えない。町の周囲は海で、町人は外の世界の存在を知らない。異端審問官は、町民に外の世界の存在を知られない為に色々頑張っている。プペルみたいなよくわからない何かも、なんか危険そうだから排除しようとする。あと何かしらんけど「星」を見ようとすると怒る。

えんとつ町は空が煙でおおわれているため、星が見えない。なので星は存在しないことになっている。ルビッチの父親(故人)は、星の存在を信じていたがためになんか迫害とかされる。そしてルビッチも父親同様星の存在を信じているので、なんかジャイアンみたいなのに殴られたりする。それでもルビッチは星の存在を信じているので、色々頑張って星の存在を町民に知らしめてヤッター!ってなってこの映画は終わるのだが、あたしゃなんで異端審問官の皆さんが躍起になって星を見ることを阻止しようとするのか全然わからなかったよ。いやね、外の世界の存在を知られたくないってのはわかるのよ。その理由もちゃんと説明してるし納得はできるのよ。でも星空が見えることと外の世界が存在していることってイコールじゃなくない? 星は星で見えてて別によくない? あれが別の惑星だなんて思わなくない? だって惑星って概念すらないやろ? 星を見たところで、ちゃんと説明しなかったら「お空で光ってる綺麗な何か」とかしか思わんくない? だから海に出ちゃだめっていうならわかるけど星みたらあかんってのは違くない? 異端審問官が「星だとォ!?」とかって切れる理由なくない? なくなくなくない?

 

失礼。いやたぶんなんですけど、「星をみにいく」っていう字面が綺麗だからってだけなのではないかなぁと思いました。違ったらごめんね。怒らないでね。

異端審問官は、あくまで「外の世界の存在を隠す」のが目的なので、海に出るのを禁ずる理由はあっても、星の存在を否定する理由はないと思うんだあ……。いや私が頭悪いだけかもしれないですけど。

なんというか、この作品は、ちょくちょくこういう「これがしたかったからこうしたんやな」ってのがちょくちょくある。例えばルビッチの上司がえんとつに上ってるときに敵に狙撃されて落ちて怪我するんだけど、「なぜ命綱もなしにそんな高所での作業を……?」と違和感がすごい。煙突から落ちて怪我をするという展開のためだけにそうした感が強い。先述の星の件も、星の存在と外の世界の存在はイコールではないのに、「星をみにいく少年とそれを阻害する敵」という構図にしたいがためにそうした感が強い。そういう細かいウソがあまりにも多い。子供向け作品なんだからとかアニメなんだからとか言われそうだけど、子供向けだからこそ嘘をついてはいけない。子供だましなんて言葉があるけど、子供は簡単にだませない。

 

そしてこれは衝撃のネタバレなのですが、実はプペルはルビッチの死んだ父ちゃんなんですけど、それもなんかいきなり判明する。プペルが鼻の下をこする動作が父ちゃんっぽくて「父ちゃんなの……!?」といきなり感動のシーンが始まりドア越しに母親が泣いてるカットが入ったりいい感じの音楽が流れたりして泣かそうとしてくるけど、心の穢れた大人である私は「えっ、いやそんな今まで伏線あったっけ? いやあったかな? 私がぼけーっとしてただけかな?」と色々考えてしまい泣くどころじゃない。

そんでプペルの頭の中に、父ちゃんの形見のブレスレットが入っていて、プペルはそれを外してルビッチに返そうとするんだけど、なんかルビッチは急に「それは君の心臓なんじゃないか!? それを取ったら死んじゃうのでは?」とかって瞬時に理解してなんか感動させようとしてくるけどできない……できない……。「父の形見であるブレスレットがプペルの心臓がわり」。これまた字面だけ見るとめちゃくちゃかっこいいし感動的だしファンタジー感あって最高なんだけど、なんでルビッチはブレスレットが心臓替わりって秒で理解するのかが私にはわからない……愛の力なんですか……? 「だってファンタジーだから」とか言ったら怒るで。ファンタジーってのは超展開を都合よく片付ける言葉ではないんやで。

 

私はすぐ泣く。本当にすぐ泣く。ファインディングドリーとか始まって数十秒で泣いた。映画の予告で泣いたこともある。現代文の模試の小説読解の問題文でも泣いたことがある。でもこの映画では本当に一回も一秒も泣かなかった。あーここで泣かせたいんだろうなという箇所はいくつもあったのだが、それがあまりにも露骨すぎて全然泣けない。どんなに感動的な音楽を流されても感動できない。なんかもう最初から最後まですべて決まっているのだ。ここでこんな感情になってここでこんな気持ちになれって全部決まっているのだ。観客が想像するための余白なんか一ミリもない。後半では父親のナレーションでこの映画のテーマを無限に聞かされ、エンドロールでも西野氏作詞の「夢見る人を笑うな」みたいな歌を無限に聞かされ、なんかもうお腹いっぱい、お腹いっぱいだ。わざわざそんなナレーションで語らなくても、夢に向かって突き進むルビッチを見ていたら理解できるのだ。「夢を見て馬鹿にされ」とかわざわざナレーションで語らなくても、作中で民衆から馬鹿にされているルビッチを見ていたら理解できるのだ。観客はそんなに馬鹿じゃない。馬鹿じゃないのだ。

もう本当に後半の父親のハイパードリームナレーションタイムからの作詞作曲西野の「夢を笑うやつ許さんで」みたいなエンドロールでもう……もう……。そこで私はやっと気づいた。この映画をほかの映画と同列に語ってはいけないのだと。登場人物と一緒にハラハラドキドキして人生を共にするような作品ではないのだと。これは西野氏の講演会なのだ。西野氏の主張を聞く会なのだ。だから没入感とかないし感情移入とかできないしそもそも私のような客はお呼びではないのだ。行くんじゃなかった。

 

しかし映像はよかった。本当によかった。細部まで作りこまれていて、町の設定資料集とかあったらちょっとほしいなと思った。ワンシーンずつじっくり見たい。引きで見た時の夜景がめちゃくちゃ綺麗だったのもよく覚えている。

脚本も、あらすじはそのままで構成だけ変えたらめちゃくちゃ面白くなるのにと思った。作者の主義主張より、もっと観客に寄り添い、登場人物に寄り添い、プペルとルビッチをいち人間として扱って、嘘をつかずに丁寧に丁寧に作りこめばこの作品は傑作になったかもしれない。あっいや、すみません私個人の意見です……もうすでに傑作やって言ってる人もいるしねごめんなさい私個人の意見です……。

 

あともう一つ気になったこと。これはツイッターでだれかも言っていたんだけど、異端審問官のみなさんが外の世界を隠そうとする理由が、作中ではっきり語られているんだけど、それがめちゃくちゃ納得できる。ルビッチたちは周りの反対を押し切って、外の世界の存在を知らしめたけど、これから襲い来る脅威にどうやって立ち向かうんやろな……。自分の夢のことしか考えてなくて、夢をかなえた彼は正義で、あとは全部どうでもええのんか……。あと民衆がめちゃくちゃ頭悪いのも気になった。いや民衆ってのはいつの時代も愚かなんですけど、(ジーザスクライストスーパースター見て)いくら何でも頭が悪すぎる。星を見ようとするルビッチのことを「迷惑だ」とかいやなんで迷惑なのかよくわからんけど、とにかく輪を乱そうとする彼らのことをめちゃくちゃにののしるくせに、星が本当にあるんだとわかった瞬間の手のひら返しがすごい。さすがにやりすぎ。ただの馬鹿な民衆なんじゃなくて、彼らがルビッチに反対するのにもちゃんと明確な理由があって、心変わりするのならその葛藤があって、って、人間なんだから。正解みせられたから「はい僕たちがわるかったですー!」とはならんやろ。これが作者にとっての理想の世界なんかもしれんけど、いやそうはならんやろ。だってみんな人間やねんから。みんな自分で考えることのできる人間なんやから。

 

 

 

 

追記。

目の前の席に座っていたカップルが、何度も席を立つしごそごそ動くし背伸びするしでめちゃくちゃ不快だった。お前がぐっと伸ばした腕は私のスクリーンに突き刺さってるんやで。そんなに退屈だったんか? って思ったら終演後「感動したねー」とか言ってたからもう僕はわからない……わからないよ……

 

 

 

 

 

 

 

ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅

ファンタビ感想。

ネタバレありです。

 

 

 

 

 

ハリー・ポッターシリーズは、4作目以降の陰鬱な雰囲気が苦手で、この映画も似たような感じなのかなと思っていたけど、全くそんなことはなかった。とてもかわいい映画だった。上映が始まってからしばらくの間、白黒の町並みが続いて、少し息苦しいなと思っていたんだけど、ニュートのトランクの中は驚くほど色彩に溢れていて感動的だった。灰色のマグルの世界と、トランクの中のカラフルな魔法世界との対比。そりゃ普段缶詰工場で働いているマグルは感動しちゃうよな……。


 ジェイコブがいい。魔法世界と初めて対峙するマグル。もしこれが邦画なら、彼のポジションはイケメン俳優やら今流行りのアイドルなんかが奪うんだろうな……。デブなんだけど汚ならしくなくて、愛嬌がある。ゴールドスタイン宅で料理を振る舞われるシーンとかもう夢のよう。クイーニーじゃないけど、彼の感情が手に取るようにわかる。とってもかわいい。


 ニュートがハッフルパフ出身というのがまたいい。セドリックがいたとは言え、これまでのハリポタでは空気だったからね……。USJではこれから黄色いローブが売れるだろうと思います。


 これまでのハリー・ポッターシリーズを見たことがない人にも楽しめるように出来ていた。そのせいか、あまりハリポタらしくはなかったかな。原作では、魔法は万能じゃなくて、ちゃんとルールがある。できないことも当然ある。でも今作では魔法=万能なもの、と描かれていたように思えて少し違和感。まぁジェイコブっていうマグルの存在があるから、彼の目を通して見る魔法世界ということでわざとああいう作りにしたんだろうなとは思うんだけども。


 ジェイコブは絶対ラストで記憶を消されるんだろうなと思っていたけど、消さないでくれ消さないでくれと祈ってもいた。結局消されてしまったけれど、あのラストには救いがあった。記憶は消えても、一緒に過ごした時間は消えなかったわけで。あ、別れのシーンは少しくどかったです。


 とてもよい映画でした。ハリポタ本編より好きかもしれない。ハリポタは後半になるにつれて原作のストーリーを追うことにいっぱいいっぱいになって魔法世界のディティールがいい加減になっていた気がしたよ。
 本当に見に行ってよかったです。
 

映画『怒り』を観て。

日本アカデミー賞最多受賞の『怒り』

今更ながら感想。ネタバレしまくりです。犯人もバラします。ので注意。

 

 

 邦画は映画館でみるより、家でパズドラとかしながらぼけーっと観たい。しかしこの作品は、絶対に映画館で観たいと思った。CMの出来が良い。
 CMの出来が良すぎた。「これはいつもの邦画と違うぞ」とワクワクしながら観ていたのだが、最後まではもたなかった。

 殺人事件の犯人探し。物語は東京と千葉と沖縄の三ヶ所で展開する。テレビで放送された犯人の特徴。そういえばあいつ、犯人に似ている。そんな感じで疑心暗鬼になっていく人たちの話。

 東京。綾野剛妻夫木聡。ゲイ。なんかツイッター腐女子が騒いでいたけど、まあわからないでもない。身元不明の綾野剛を妻夫木が拾って同棲。「あれっなんかこいつ犯人に似てね?」とか思ってたら突如失踪する綾野剛。そして警察から電話がかかってくる。「警察から連絡がきたってことはやっぱあいつが犯人だったんだ」とろくに用件も聞かずに電話をガチャ切り。作中一番真犯人っぽい。

 千葉。渡辺謙がいい。腹の出具合が父親感満載。風俗でぼろぼろになった娘(宮崎あおい)を地元に連れ戻すところから始まるんだけど、この娘は頭が少し足りない。宮崎あおいの演技が圧巻。そして渡辺謙がいいすごくいい。台詞はそこまで多くないのに目だけで何言ってるのか全部わかる。
 こちらでもまた身元不明の男をひきとっていて、バイトとして働かせている。その男と娘がひっつく。父親は「あいつ犯人に似てね?」と気が気じゃない。娘はその意見を一蹴するんだけど、やっぱり色々あって疑ってしまい、警察に通報する。

 沖縄。離島に勝手に住んでいるなんかよくわからない男。なんか知らんけどそこに通う広瀬すず。そしてなんかしらんけどクラスメイトとデートした帰りに外人にレイプされる。クラスメイトの男の子はその現場を見ていたけれど助けられなくてとてもつらい。そして離島の男もなんかしらんけどその場にいたけど助けられなかったとかいってなんか知らんけど泣く。ちなみにこいつが犯人。

 東京編の綾野剛を真犯人っぽく作っていて、一番関係なさそうだった沖縄の男が犯人。この映画、人間の内面の描写がすごくすごく丁寧。感情移入しやすい。各容疑者が疑われる理由もはっきりしていて、登場人物たちが疑心暗鬼になっていく理由もよくわかる。
 どこまでもリアルに丁寧に作られていたから、犯人が人を殺した理由がとても気になった。何が彼をかりたてたのか。きっととても深い理由があるはず。

 そうでもなかった。犯人はいわゆるサイコパスだった。広瀬すずがレイプされていたのを見て笑ったらしい。それを聞いてクラスメイトの男の子は犯人を殺してしまうんですけども。
 いやぁここまで人間を丁寧に描写しといて、サイコパスってそりゃないでしょう。人を殺す動機が弱すぎるでしょう。サイコパスだからってそれですませたらもったいないじゃない。他のクソ邦画ならまだ許せたけれどここまで緻密に作り上げておいてそりゃねーだろ。

 映画冒頭で、犯人が前にすんでいた部屋が出てくる。壁一面に文字。思ったことを書かずにはいられないらしい。そして沖縄の離島の掘っ立て小屋にも文字。しかしとってつけたように少しだけ。レイプされてたうける、みたいな。そして怒という文字。これは犯行現場にもかかれていた文字。

 終盤、取調室に新キャラが登場。一瞬こいつが犯人なのかと驚くが違った。そして唐突に「犯人はこういうやつでねぇ」と語り始める。あいつはこういう性格でねえ、あのとき事故現場ではこういうことがあってねえ、それであいつはこう思ってねえ……とその場にいたわけでもないのに語り始める。いやお前誰やねん。なんでその場にいたわけでもないのに丁寧に状況を話せるんや。講釈師かお前は。などと思いつつ。
 『猟奇的な彼女』という映画がありますが、あれにも突然新キャラが出てきて状況を語り始めるんですよね。いやお前だれやねんと。物語を進めるためだけの登場人物を作るなよと。それと同じで。

 そして犯人がわかったあとに、残りの二人の誤解がとける。千葉編は普通に感動するので割愛。東京編では、またこの解説をするためだけの登場人物が出てくる。一応他のシーンでも出ていて、その人と綾野剛がお茶してるのを見て妻夫木がまた疑心暗鬼になってと、それはそれでよかったんだけど。
 実は綾野剛は病気で死んでて、警察から電話がかかってきたのはそのため。盛大に誤解をしていた妻夫木がぼろなきしていてとてもつらい。しかしなんでこう、邦画というやつは、後日談をつけたがるんだろう。テルマエロマエを観たときも思った。ここで終わっておけば綺麗なのに、何故か後日談を入れたがる。
 沖縄の人が犯人だった!じゃあ一番犯人っぽかった綾野剛は何なの?えっ病気!?すごくつらい!!!というふうに感動させたかったのかは知らないけれど別に感動はしなかった。妻夫木の泣き顔とか蛇足じゃないですかね。下手に後日談を入れるんじゃなくて、綾野剛が病気だったとわからせる伏線をそれとなく入れておくぐらいじゃだめだったのかしらと思う。

 話は戻って、真犯人の話。もうあんなふうに投げてしまうならいっそ犯人なんかいなくてよかったんじゃないか。沖縄と東京と千葉。それぞれがだれかを犯人かと思って疑心暗鬼になってぼろぼろになって、でも本当は犯人は全く別の人で、それでよかったんじゃないかしら。映画だから仕方ないのかもしれないけれど、もしこれが演劇だったら、最後の最後に新キャラ、それこそさっきの取調室のおっさんみたいなのを出して、そいつが犯人で全員が冤罪でした人間って脆いね怖いねって終わればいいかんじに後味悪くてよいと思う。


おわります。これは渡辺謙に萌える映画です。

君の名は肩透かし

 「異性と観に行ったらついうっかりプロポーズしそうになる」と聞いて彼氏と一緒に観に行った。別にプロポーズしたくはならなかったしされもしなかった。かなり期待していたから若干肩透かしをくらってしまった。面白かったといえば面白かったけれど、絶賛する声には違和感を覚えた。


 この映画は泣けるらしい。感動するらしい。私はすぐ泣く。映画館で本編の前に流れるCMでさえ泣く。本編でもすぐ泣く。ファインディングドリーとか始まって数秒で泣いた。しかしこの映画ではあまり泣けなかった。泣き所がどこなのか真剣にわからない。一度だけうるっときたけど、それはおばあちゃんが「これから三人で暮らすんだよぉ」と言っていたシーンなのでたぶん違う。たぶんここだけピンポイントで泣いてるの私だけだと思う。


 よく練られた脚本だけど、さして真新しさは感じない。深夜アニメっぽい。ラッドは個人的には好きだけれど、少しくどい。よく聞く意見ではあるが、二人が恋に落ちる理由もよくわからない。背景は綺麗。

 

 これなんで流行ったんだろう。なんでこんな深夜アニメみたいな映画が流行ったんだろう。それはたぶん、これが深夜アニメを忌み嫌う層に向けて作られた深夜アニメだから。深夜じゃないけど。


 オタクは気持ち悪い、アニメは気持ち悪い、みたいな風潮は昔からある。それはよくわかる。私は昔からクソオタクなので、アニメに対して嫌悪感を覚えたことはあまりない。でも似たような感じで、ギャルゲーとか乙女ゲーとか、そういうのに何となく嫌悪感があった。あとエロゲとか。でもいざやってみたら超面白いんですよ。思っていたのと違うんですよ。でもそのやってみるってのが以外と難しい。

 

 んでこの映画は、見てみようと思える要素が多いんですよね。言い訳もできるんですよね。「いや私アニメとか普段見ないんだけどラッド好きだから」「神木くん好きだし」「長澤まさみが出てて」「背景が綺麗だから」
 普段アニメとか見ないから、初めて見るその世界観に感動する。そして流行る。「アニメとか興味ないけど流行ってるから観に行こー」そしてさらに流行る。

 この手の作品は昔からあったけれど、拡散力を持つ人たちには届かなかった。この作品はその層に向けて全力でアピールしている。戦略勝ちってやつですかね。

 

 某所で、この作品の気持ち悪さを指摘している人がいた。なんか三葉がリアルな女子高生じゃなくて、おっさんの妄想世界の女だ、みたいな。おっさんが女子高生を操縦している、みたいな。とってもよくわかる。少なくとも私は作中誰にも感情移入できなかった。外側は徹底的に非オタ向けなんだけれど、キャラクターは深夜アニメそのまま。自分の唾液が混じったお酒がどうのなんて言われて赤面とかできないですよ普通。個人的には三葉よりミキが気持ち悪かったけども。涼宮ハルヒに出てきそうですね。キョン君をドキドキさせてそうですね。

 

 この映画を見る前に、同じ監督の『言の葉の庭』を観た。彼氏が執拗に勧めてくるので仕方なしに観たのだけど、やっぱり感動しない。「いやそこでその台詞はおかしいやろどんな思考回路やねん……」と思った。
 物語の登場人物。彼らは人間。人間である彼らが、考えて動いて喋った結果物語が生まれる。しかし言の葉の庭も君の名はも、物語が先にある。物語をスムーズに展開させるためだけに産み出された登場人物。とても都合がいい。それはもう人間ではない。だから気持ち悪い。深夜アニメならなにも思わなかったけれど、映画でこれをされると少ししんどい。
 君の名はは映画館で観たのでぐっとこらえたが、言の葉の庭は家で観たので「いや嘘やん!ここで動いたらそれはもう嘘やん!」みたいなことを三回ほど叫んで彼氏にいやな顔をされた。ごめんやん。

 上映時間は107分。長かった。後半の、町の人たちを避難させるために三葉達が奮闘するくだり、テンプレだけど割りとワクワクした。でもよくあの父親を納得させられたよね。かなり労力のいる作業だろうにその過程がカットされてしまっているからいまいち納得できなかった。

 んで三葉と瀧がくっつく理由がやっぱりわからん。日記のやりとりで互いを意識するようになった、ってのはわかるんだけどどこに好きになる要素があったのか。

 いつになったら終わるんやこの映画は……と思っていてやっと終わる!と思ったらまだ続く。成人した二人が出会って終わり。いやうんもうわかったからはよ終われや長々鬱陶しいねんと思った。もう少しコンパクトにまとめられていたらまだ感動できたんだろうけど……。

 色々書きましたが面白かったです。好みではないというだけで。モノローグ連発する映画ほんと嫌い。あ、映像は綺麗でした。

 

スーサイド・スクワッド感想

スーサイドスクワッドみてきました!!

ネタバレしまくりなので注意。

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最近観たい映画がなかったので、公開を本当に心待ちにしていました。

はい、そんな心待ちにする程ではありませんでした。

 

前評判があまり良くなかったので、嫌な予感はしていたのですが、その予感は的中していた。でもまぁ、嫌いではない。

 

すごく可愛い映画でした。ハーレイ・クインが意味わかんないくらいかわいい。結婚したい。

音楽がいい。演出も好き。登場人物の名前のカットインがお洒落。胸毛(彼氏)は洋ゲーぽいと言ってた。私はエロゲーのオープニングみたいだと思った。(最悪)

 

一つを除けば全部よかった。一つを除けば。脚本。脚本があかん。脚本がダメだったら、映画全体がダメになる。

 

まず世界観がよくわからなかった。スーパーマンみたいなヒーローがいなくなった世界で、とある敵を倒すために、秘密裏に集められた悪党達。彼らの首に爆弾を仕掛け、逆らったら殺すと圧力をかけながら敵に立ち向かわせる。スーサイド・スクワッドは直訳すると自殺部隊。

 

何故ヒーローがいなくなったのか? 敵とは何なのか? よくわからなかった。

何らかの敵に立ち向かうために組織されたはずなのに、その敵がどれかわからない。自殺部隊の中には魔女がいて、そいつが脱走して最終的にラスボスになるんだけど、この魔女も本来は何かしらの敵を倒すために呼ばれたんじゃないの?

(私の見落としだと思うので、お気づきの方はコメントで指摘していただけると助かります)

後で調べたら、ヒーローが不在なのは、スーパーマンが死んだかららしい。いや死ぬのかよスーパーマン。スーパーマンなのに。

 

自殺部隊のメンバーは以下。悪党の寄せ集め部隊らしいけども……

 

デッド・ショット…百発百中の狙撃手。人を殺しまくってる悪党のわりに人間味に溢れている。

キャプテン・ブーメラン……ブーメランで戦ってたらしいけど記憶にない。悪党というかコソ泥のイメージしかない。序盤ですぐ死ぬんだろうなと思ってたらそうでもなかった。しかし活躍もしなかった。

スリップノット……ロープを使いこなすらしいけど記憶にない。なんかすぐ死んだ。誰か序盤で死ぬだろうなとは思ってたけどまさかこんなにさっさと死ぬとは思わなかった。死ぬのが早すぎて何の印象にも残っていない。

キラー・クロック……怪物のような外見で怪力。下水道に住んでいるらしい。悪党らしいけど一体何をしたんだ。

カタナ……日本刀で戦う日本人。スーサイド・スクワッドには自ら志願したらしい。部隊のボスの護衛。悪党……? 悪党じゃなくね……?

エル・ディアブロ……手から火を出すメンヘラ。

エンチャントレス……魔女。考古学者の身体を乗っ取っている。かわいい。

ハーレイ・クイン……かわいい。ジョーカーの嫁。元々精神科医だったけどジョーカーにいろいろされて頭がおかしくなったらしい。他の人たちは狙撃が得意とか怪力とか色々スキルがあるけどハーレイは特にないような気がする。普通に戦ってたけど。なんでこの組織に入れられたのかよくわからん。

 

首の爆弾の威力を示すために序盤に誰か死ぬやろうな、とは思っていた。キャプテンブーメランとやらが死ぬんだろうなと思っていた。しかし違った。ロープの人だった。登場してわりとすぐに死んだので本当にそのためだけにいる役なんだなって感じだった。

カタナは日本人。アクションはすごいんだけどセリフが棒すぎて笑ってしまう。

魔女とか日本人とかなんかもう世界観がバラバラ。バラバラでもそれで面白くなるならいいんだけど別に面白くない。ていうか登場人物多すぎ。誰か一人に焦点を当てるか、全体に満遍なく当てるか、どっちかにすればいいのにすごく中途半端。

デッドショット、エル、ハーレイの三人の回想があった。いらん。どれか一人に絞ってくれ。それか全員満遍なく紹介してくれ。客としてはどこを見たらいいのかわからなくて困惑した。カタナが実は旦那を失っていて……とかまた申し訳程度に他のキャラの過去をほのめかしたりするけどそんなんいらん。いらん情報が多い。

ハーレイとジョーカーの過去50%、デッドショットの過去20%、エルの過去20%、その他10%という謎配分。個人的にはハーレイとジョーカーの回想がすごく好きだったので、そこをメインに作って欲しかった。ハーレイがジョーカーと再会するシーンの演出は圧巻。

 

皆悪党で好き勝手するから、リーダーがそれをどうまとめるか、なんてのも見どころだと思っていた。しかし後半割とさっさと団結してしまった。しかしその理由もよくわからない。皆クソ悪党キチガイなんだから、団結するにはそれはそれは立派な理由がいるはず。しかしそれがない。あるっちゃあるけど、クソキチガイ悪党を団結させるような説得力はない。っていうかもう団結しなくてよかったのに。誰とも仲良くする気なんかないし命令を聞く気もないけど、敵を倒したい理由がそれぞれにあるから結果的に協力する。そんなんでよかったのに。適当に理由をつけて団結させるからより一層嘘っぽくなる。

なんか後半エルが「もう誰も失いたくない」なんて化石みたいなセリフを言ってたけども、いつの間にそんなに仲良くなったの? って感じ。ハーレイはキチガイサイコパスのはずなのにジョーカーが死んでからはただの普通の人。

 

ラスボスの魔女。これもわからない。「人間が自分たちを神だと思わなくなった。神は機械になった。だから復讐する」自殺部隊に入れられそうになったり無理やり働かされたりで腹が立つのはわかる。しかし復讐したいんだったらさっさとみんな殺せばいいし、わざわざ自殺部隊を呼ぶ理由もそこまで関心を示す理由もわからない。

 

脚本を書くとき、嘘は大きな嘘を一つだけ。あとはすべて本当にしないといけない。

誰かのブログかツイッター、なんせ何かの記事で読んだんだけど、例えばシン・ゴジラだったらゴジラという存在が嘘。でもそれ以外、例えば国のあり方とか会議の進め方とかそういうのは本当。

 

しかしスーサイドスクワッドは嘘まみれ。ヒーローとかヴィランとかそういった大きな嘘がすでにあるのに、展開を都合よく進めるために小さな嘘をつき続ける。

ここで誰と誰を戦わせたい。ここで団結させたい。ここで何何をしたい。

そういった作る側の都合ばかりが見えた。登場人物に戦う理由があるんじゃなくて、戦うシーンのために戦わされている。バラバラだったメンバーが団結したら感動するから団結させる。しかし団結する理由がないからでっちあげる。

 

なんかもうね……。

高校演劇かよ! ってね……。

嫌いじゃないんだけどね、演出とかは。かわいい映画だったんだけど。

さっきも書いたけどハーレイとジョーカーの回想は本当に良い。再会のシーンは感動した。ハーレイをヒロインとしてばんばん売り出すんだったら、やっぱりここに焦点をあててほしかったかな。

やっぱりいらないキャラが多すぎ。5人くらいでよかったんじゃないかな。活かせない材料は置いといたって腐るだけだーーー。あとアレ、暗い過去映せば感情移入できると思うなよ!!!!! ファインディングドリー始まって5秒で泣いた私ですらこの映画は一瞬たりとも泣かなかったぞ!!!

 

 

おわります。

見たのが数日前なので記憶が怪しい。何か間違いがあったら指摘してくれたらうれしいです。

ハーレイは本当にかわいいですよ。あれはハーレイに萌える映画ですよ。これは。

 

 

 

 

デッドプール最高