タイトルの通りである。好きになった男がやばい奴だった。遡ること2年前、私はクソ男という言葉を具現化したような存在と付き合っていた。それによって精神がズタボロになり、生理周期がめちゃくちゃになり、「あれと過ごした部屋に一秒たりとも居たくない」という思いから引っ越し先を探していた。そして出会ったのが現在住んでいるシェアハウスである。
住居兼コミュニティスペースを謳ったこのシェアハウスは、まさに私の求めていた場所だった。まず広い。古い日本家屋なのだが、私の実家や親族の家より普通に広い。今この文章を書いている自室も、普通に実家の自分の部屋より広い。そしてキッチンも広い。田舎のおばあちゃん家といった感じで、作業スペースが十分にある。調理家電も揃っている。それまで独房のようなワンルームの取ってつけたようなキッチンで自炊していた私にとって、それは夢のような台所だった。
そしてリビング。ここでは定期的にイベントが行われる。去年の12月にはクリスマスパーティーが行われ、2月には餅つき大会が行われた。毎回たくさんの人が訪ねてきて、そのたび新たなつながりが増える。私は劇団を主宰しているのだが、そこで出会った人々が公演に来てくれるなど、自身の活動の助けにもなってくれている。
劇団の作業場としてもリビングを使った。庭もつかった。舞台の大道具製作のため、庭にブルーシートを引き、木材を切ったり叩いたり色を縫ったりした。通常劇団では、こういった作業のためだけに場所を借りる必要があるのだが、このシェアハウスのおかげでその分の予算を浮かせることができた。また、読み合わせ(台本を声に出して読むこと)もリビングで行った。打ち上げもリビングで行った。いつの間にか、このシェアハウスが、特にこのシェアハウスのリビングが、大好きな場所となっていた。
しかし現在、私はリビングには極力近づかないようにしている。奴とエンカウントするのを防ぐためだ。
奴と出会ったのは一年前。この建物の内見に来たときだ。ちょうど何かの飲み会の最中で、奴は酒に酔って顔を真っ赤にしていた。「変な髪形だし顔は赤いし変なしゃべり方だしきもちわるいなコイツ」。これが奴の第一印象である。まさか自分が、この変な男に惚れることになるとは、その時は夢にも思わなかった。
入居から数か月後、自身の劇団で公演を行うことになった。芝居のタイトルは『わたしのエビダンス』。フェミニズムをテーマにした話だ。脚本を執筆するにあたって、身の回りの男性からたくさん話を聞いた。そして当然、奴にも聞いた。
かなり面倒な質問をたくさんしたと思う。しかし奴はしっかり考えて、すべての問に答えてくれた。奴は公演に協力的だった。例えばある日、リビングでとある団体が飲み会を行っていた。公演の告知をしようと、チラシを持って「宣伝させてくださーい」とリビングのドアを開けると、すでに全員がチラシを持っていた。奴が宣伝してくれていたのだ。
話は変わるが、私は自己肯定感が低い。すぐに自虐的な事を言ってしまう。これは、人から非難される前に自虐することによって、ダメージを減らそうといういわば自己防衛なのだが、はたから聞いていてあまり気持ちの良いものではない。それは理解している。理解しているのだが、どうしても自虐的な事を言ってしまう。
ある日、私がまた何か自虐的な事を言った。すると奴が怒った。私が自虐的な事を言うたび、奴は怒る。それが何度も続くから、すっかり言えなくなってしまった。そして、奴はやたらと人を褒める。私が料理を作るたび褒めてくれる。たまに「あんまりおいしくないかもしれない」などと自虐的に言ってしまっても、「今までそんなこと一回もなかったじゃん」と言ってくれる。いつしか奴を好きになっていた。
いやしかし、これは恋なのか? ただの憧れではないのか? 優しくされたから錯覚しているだけなのでは? などといろいろ考えた。そもそも、恋とはどこからが恋なのか。
昔、バイト先で気になっている先輩がいた。周りがクズばかりのなか、その先輩は特別だった。どんなに忙しい時でも、その料理はこうした方がいい、などとアドバイスをくれ、二人で汗だくになりながら働いた。楽しかった。先輩と働ける日は楽しかった。
「あれ? もしかしてこれは恋では?」ある日ふと思った。そしてありとあらゆる人に相談した。確かに好きだ。好きだけれども、別に彼とどうこうなりたい訳ではない。視界に入っていただけるだけでありがたい。一緒に働けるととても楽しい。「それは恋だよ」「恋を越えて愛なんじゃない?」などといろいろ言われた。自分でもそうなのかもしれないと思ってきた。そんな中である日、テレビで推しを見かけた。「あっこれだ」と思った。私が彼を好きなのは、推しを好きなのと同じ気持ちだ。まあ広義では恋なのかもしれないが、とにかく先輩の件は私の中でけりが付いた。
しかし奴は別だった。どうこうなりたいと思ってしまった。小学生の頃から希死念慮を抱え、自己肯定感が枯渇していた私に自己肯定感を与えてくれた。前向きにさせてくれた。いつしか希死念慮も消えていた。好きだった。バレンタインにはチョコを作った。恥ずかしかったので無言で渡した。ホワイトデーにはお返しをもらった。
無言で渡したのがまずかった。やはり言葉にしなくてはいけなかった。ある日の夜、これまたリビングで、私は勇気を振り絞って言った。「バレンタインにチョコ渡したやん。あれ義理チョコじゃないって知ってた?」 文学だ。これは文学だ。我ながらセンスが良すぎて吃驚した。
しかし奴には伝わらなかった。「手作りだったから、そうなんだろうね」と奴は言った。「は? 手作り? 手作りだったらイコールで本命チョコになるのか? なんだその純朴な世界観。童話か?」と思ったが、そんな事を言ったら相手が傷つくのでぐっと堪えた。すると奴は続けて、「不満?」と言った。
「不満? 何が? あ、もしかして、私はバレンタインに本気の手作りチョコを渡したのに、それに対してあのお返しは何だ、みたいな意味にとったってこと? え? は?」脳みそがフル回転ののちにフリーズした。やばい、こいつはやばいぞ。フリーズした脳みそで必死に言葉を探した、が、出てきたのは「そういうことじゃないやん」の一言だけだった。奴は何も言わずに去っていった。
それからしばらく、私は必死にアプローチを続けた。しかし毎回スルーされた。仲は良い。コロナで自粛でやることもなかったから、毎晩のように将棋を指したりゲームをしたりした。楽しかった。奴はミニ四駆が好きだった。私は微塵も興味がなかったのだが、やたらと布教してくるので自分用に2台ほど購入し、奴の興味に寄り添おうとした。あんまり楽しくなかった。しかし奴は楽しそうだった。そんな奴の顔を見るのは好きだった。
仲は良かった。ある日、バイト先の周年パーティーで、12時間ほどぶっ続けで飲酒し理性を失っていた私は、酒の勢いで「お前実際私のことどう思ってるの」と聞いた。やはり彼は言葉を濁した。嫌いじゃないけど、とこぼし、その場を立ち去った。追いかけた。「ちょっと待ってよ」と引き止めた。奴はなぜか怖い顔で「何」と言った。そこで私が「好きです」とでも言えればよかったのだが、言葉に詰まってまい、やっぱりいいと今度は私が逃げてしまった。
それでもやはり仲はよかった。wiiのスマブラでよく遊んだ。「そういやスマブラってスイッチのは出てないの?」と私が聞いた翌日、彼はスイッチのスマブラを買ってきた。そしてたくさん遊んだ。しかし楽しいだけで中身のない日々だった。
ある日、ツイッターのトレンドに「安楽死」と言う言葉が上がっていた。奴とはよく政治的な話や、台本を書く際にはフェミニズムの話など、雑談と呼ぶには濃厚な話をした。奴はものを考えられる人間だと思っていた。だから奴とそういう話をするのは楽しかった。安楽死についても、奴には奴なりの意見があるのだろうと思い、聞いてみた。しかし、「わからない」としか言われなかった。
ここ数日、そういうことが多かった。自粛になってから二人で遊ぶ時間が増えたのだが、それに比例するように奴から私への扱いは雑になっていった。台本を書く際、私の面倒な質問に正面から答えてくれていた奴。そういう所が好きだった。私を人間扱いしてくれていると思った。しかし、日に日に扱いは雑になっていった。何か質問しても、「しらない」「わからない」。いつしか奴とは中身のない会話しかしなくなった。
しかし一緒にいる時間は依然長かった。必然的に会話は増えた。奴は私の地雷をよく踏んだ。言っていいことといけないことの区別がつかないらしい。やっていいことといけないことの区別がつかないらしい。
例えばペットの病気で悩んでいる私に向かって、その病気をネタにしたようなことを言ってくる。例えば、ペットが死んで落ち込んでいるときに、「新たな出会いがありますよ」とか言ってくる。(わからない人にはわからないかもしれないが、友人を亡くした時に「また新しい友達ができるよ」と言われるようなものである)。例えばコタツで寝ていると、起こそうとして足で小突いてくる。流石にこれは不快過ぎたので怒った。
そして何より一番キツかったのは、「みりんは発達障害じゃないよ」と言われたこと。私は診断済みのADHDである。現在通院中で、死ぬほどの努力をして定型発達になりすましている。(なり済ませてないけど)。奴は素人目にも分かるアスペルガーだった。言っていいことといけないこと、やっていいことといけないことの区別がつかず、こだわりが強く、協調性がない。素人が他人を発達認定なんてしていいものではないのだが、奴が定型発達なら発達障害とは何なのというレベルで顕著だったのだ。
そんな奴に、「あなたは発達障害じゃない」と言われたのは本当に本当に不快だった。どれだけ努力していると思っている。ある時、酒によっていた奴は、「俺は不良なんだよ」とほざいていた。社会に溶け込めないだけだろう。私が社会に溶け込むために一体どれだけの努力をしていると思っている。しかし言い返す元気もなかった。それでもまだ、好きだった。地雷原をタップダンスするような奴がまだ好きだった。人の気持ちがわからないなりに、奴は人に寄添おうとしている。そんな奴が好きだった。
しかし、それは大きな誤解であった。
つづく