自分が知っている情報を相手も知っている前提で話しかけてくる奴が嫌いだ。
たとえば、
90代のおばあさん「何してるの?」
わかもの「ライン」
90代のおばあさんにラインと言って通じるのだろうか。
「何してるの?」
「友達と連絡とってる」
この方が親切な気がする。
別の例、
にんげんA「髪きった?」
にんげんB「うん井上に切れって言われてー」
いや井上って誰やねん。
「髪きった?」
「うん彼氏に切れって言われてー」
この方が親切な気がする。
例がいまいちだが、とにかく、自分が知っている情報を相手も知っている前提で話しかけてくる奴が嫌いだ。
私は人と話すとき、微妙に嘘をつく。たとえばネットに疎い人と話すときは、ラインのことをメールと言ったり、ツイッターのことをブログと言ったりする。ツイッターとブログは全くの別物だが、相手がツイッターが何かをわかっていなかった場合、
わかもの「昨日ツイッターで見たんですけど、」
ねんぱい「ツイッターとは?」
という一文が入るのが非常に面倒くさいのだ。だから、言い換えて違和感がないときは、ツイッターのことをブログと言い換える。ツイッターとは何かを説明するよりよっぽど効率がいい。ちなみに相手がブログも知らない場合は、「ネット上で日記を書いてるんですけど」と言う。とにかく、相手が知らない言葉を使いたくない。
また、友達の話を友達にする場合。
「昨日井上が~」
よくあるのだが、お前はそいつと知り合いかもしれないが私はお前の知り合いとは知り合いじゃないんだぞと思う。個人名を出すな。「昨日井上が」とかいうな。「昨日友達が」と言ってくれ。いや面識あるでしょうと言われそうだが、お前がその友達に対して関心を持っているのと同様に私がその人物に関心を持っていると思うなよ、と思う。
また学校の場合。
新任の先生「××って劇作家知ってる?」
学生「学内でやりました!」
学内とは、学内公演のこと。私が通っているのは演劇の学科なので、毎年学内公演と称して授業で演劇公演を行う。身内なら「学内」という言葉で通じるだろうが、赴任してきたばかりの先生に学科内限定の専門用語を使うなよと思う。
不親切な人間が多い。
コミュニケーションは言葉のキャッチボール。相手にキャッチしてもらわなけれコミュニケーションにはならない。
なぜ剛速球を投げるのか。相手と距離を測りながら、ふんわりとボールを投げようと、何故しないのか。
ネットに疎い人に向かって、ラインがどうのツイッターがリツイートがファボがどうのとか言っている人を見るとイライラする。それもう理解してもらいたいと思ってないよな。
一度、自分が知っている情報を相手も知っている前提で話しかけてくる友人に向かって、それをやめろと言ったことがある。せめてワンクッションいれてくれと。
「井上が」とまで言ってしまったのなら「あ、井上って高校の友達なんだけどね」とワンクッションを入れてほしい。
すると「それやったら友達にうっとうしいって言われた」と言われた。
そこは人を見極めないといけない。相手がどこまで自分の言葉を理解できるか、どれだけ共通の情報を持っているか、それを理解してから会話する必要があるのではないか。
とにかく、自分が知っている情報を相手も知っている前提で話しかけてくる奴が嫌いだ。しかし、そういった人は本当に多い。こんなことを考えているのは私だけなのだろうか、という疑問。
おわります。