毎日が告別式

人生どん詰まり元芸大生のブログ

退院

※別ブログに載せていた過去記事です

 

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osakanafurby.hatenablog.com

 

病室には、短くても5時間はいた。

なかなかに暇なので、鶴をおることにした。

 

名付けて、「オトンを元気づける千羽鶴プロジェクト」だ。

病室にメモを残して、折り紙を置いておくと、叔母達も一緒に折ってくれた。

 

「プロジェクトに参加しといたで~」

 

みると、鶴が増えている。形がすごくいびつなのが、たぶん叔母のである。私もせっせと鶴を折っていると、やってきた看護婦さんが

 

「あら、千羽鶴折ってくれよるよ」

「はい」

「父を元気にするプロジェクト(笑)」

「はい」

 

ちなみに千羽いかなかった。

150羽鶴だった。父は退院したのだ。

 

お見舞い三回目くらいから、急に父が元気になった。

同じ会話を繰り返さないのだ。最初は張り紙の効果かと思った。

しかし違う。表情がいつもと全然違うのだ。そして軽口をたたくのだ。

その日の夜、せっせと鶴を折っていると、父がこういった。

 

「鶴折る暇があったら、焼き鳥でも買ってきてたべよや」

 

父に食べ物をリクエストされたのは初めてのことだった。

食欲がわいたのは、とても良いことだ。

 

「かってこよか?」

「おう」

「優しい娘やでほんま」

「親の教育がええんや」

「どの口が言う」

 

たったこれだけの会話に、どれだけ重みがあったことか。

たったこれだけの会話をするまでに、どれだけの時間がかかったか。

 

9日。地元の叔母と母がやってきた。

父はもうすっかり元通りになっていた。

その日の夜、母と地元の叔母と私の三人で焼肉に行った。

父が倒れた日に行った焼肉は本当にまずかった。おなかを下した。

なので、リベンジである。

その日入ったお店は、本当に本当においしかった。

私の中では打ち上げだった。

 

前日が母の日だったので、LASHで買ったギフトセットをプレゼントした。母からはムーミンのパジャマをもらった。なぜか女児用だった。キレて脱ぎ捨てた(かろうじて着られた)

 

母が「あんたと叔母ちゃんとでホテルに泊まらんかい」と言う。

叔母はわかるが私を泊めてどうする。母は明日、父を連れて帰るために何時間も車を運転するのだ。

「私が病室にいるからいい」と固辞したが、結局私が泊まることになった。

今回頑張ったから、らしい。頑張ったのはみんな同じだ。

叔母とは申し訳ないもったいないを連呼しながら泊まった。朝ごはんは最高だった。

 

翌日、退院の日。

叔父もやってきた。病室には、私と母と父と地元の叔母と神戸の叔父がいた。

大所帯だ。

先生と看護婦さんがやってきた。

大所帯にちょっと笑っていた。

看護婦さんが、協力ありがとうと言った。交代で見張ったこと。

神戸の叔母の言葉を思い出す。

私にとっては父なので、協力なんていうとおかしい、あたりまえのことなのだ。

 

それから、父は退院した。

神戸の叔母と従兄にお礼のメールを送った。

叔母の「また会う日まで」というメールがなんだかグッとくる。

従兄とは、今度従兄の出演する舞台を見に行くことになった。

没交渉だった親戚と急に距離が縮まった気がしてうれしい。

 

全員でぞろぞろと病室から出た。

エレベーターが狭いので、私は階段を駆け下りた。

母が支払いを済ませて、病院を出る。

やけに空が広かった。

久しぶりに晴れていた。私の心も晴れていた。

 

それから、母が運転する車で、叔母と父は愛媛に帰った。

父はこれから地元の病院に転院し、今度はアルコール依存症の治療をメインに行うらしい。

まだ記憶がとぶこともあるらしく、たばこを買おうとして怒られたらしい。

しかし、財布の中身は母が抜き取ってあるので不可能だ。

 

叔父が神戸の人なので、神戸駅まで送ってもらった。

この叔父も、もう何年も会っていなかった人だ。

幼少期に怒られた記憶があるので、本能的になんか怖い。

しかし、いい人だった。みんなみんないい人だった。

 

私の鞄の中には、まだ折り紙が入っている。

父の入院生活はこれからも続くのだ。

来月、祖母の法事で帰省するときに、残りの鶴を渡そうと思う。

それまでに千羽になっていればいいけれど。

 

それから数か月後。祖母の七回忌のために、実家に帰った。

父は、退院していた。というか、退院させられていた。

なんでも、また病室でこっそりタバコを吸って、追い出されたらしい。

もういい加減にしろという感じだ。

母曰く、「復職できると思っとったらしくて、できんならもうちょっと入院したろってことらしい」……らしい。

 

入院したての頃は、ろくに歩けないし記憶力や理解力もないしで大変だったのだが、今の父は、いたって普通の人である。

しかし、軽度だが障害が残った。その名も、高次脳機能障害

 

「どんな症状なん?」

「物の名前が覚えられんとか」

「元からやん」

「子供とリモコン取り合って喧嘩するとか」

「いや元からやん」

 

そう、ほとんどの症状が入院する前からあるのだ。

例えば、物の名前が覚えられないこと。

父は昔から物の名前が覚えられない。例えば、この世に存在するすべての犬のことを「ラッシー」と呼ぶ。

我が家ではタロという名前の犬を飼っているのだが、父は「ラッシー」と呼ぶ。また、叔母の家では、ルッシェルという名前の犬を飼っているのだが、父はやはり「ラッシー」と呼ぶ。

他にも、トイレのことをペンギンと呼んだり、(男性用小便器がペンギンの形に似ているから?)古本屋のことを廃品回収と呼んだり。

もしかしたら私の名前も覚えていないかもしれない。

 

なんでも、父は若いころにバイクで大事故を起こし、記憶喪失になったことがあるらしい。母は、「もしかしたらその時にはすでに高次脳機能障害だったのかもしれない」と言う。私もそんな気がする。

 

ただ、脳に酸素がまわりにくくなったらしく、あまり出歩けなくなってしまった。それを除けば、いつも通りの父である。むしろ、禁酒してアルコールが抜けた分温厚になっていて、それはそれでいいのかもしれない。

 

「こうじ君だからねー」

 

と母は言う。高次脳機能障害、通称こうじ君。

こうじ君なので、色々とやらかしてしまうのは仕方ないのだ。

 

例えば、父はいまだに隠れてタバコを吸っている、らしい。

全て処分したはずだし、財布も没収されているはずなのに、どこからか小銭を集めてタバコを購入している。

 

我が家は、なぜかいたるところに小銭が落ちている。そして、最近父はずっと掃除をしている。掃除をすると小銭がたまる。(RPGかな?)

小銭を集めるために掃除をしているのかもしれない。

 

バレたらそれはそれは怒られるので、最近は吸っていないみたいだが、もしかしたら今日も隠れて吸っているのかもしれない。

 

しかしこうじ君なので仕方ない。

 

私「オトンがタバコ吸って倒れたら、迷惑するのはオカンなんやけん」

母「ころっと死んでくれたらいいけど、半分生きてたら世話せないかんやん」

父「さあ殺せ!」

私「ほうよ。ころっと死んでくれたらいいけど、生きとったらみんな看病せないかんけん大変やん」

父「さあ殺せ!」

母「殺さんわ!」

 

しかしこうじ君なので仕方ない。

 

父「タバコちょうだい」

母「もう全部処分したからね」

私「タバコ買うけん一銭も持たせたらあかんね……」

父「千円ちょうだい」

私「寝んかい!」

父「家族に捨てられた父は、ただ戦場を立ち去るのみ……」

私「やかましい!」

 

しかしこうじ君なので仕方ない。

 

父「あいつはほんまに馬鹿やのう。ほんまに馬鹿や」

私「あんま馬鹿馬鹿言わんの。自己紹介かと思われるで」

母「自己紹介(大爆笑)」

父「……。」

 

しかしこうじ君なので仕方ない。

 

私「あっ! ハチや!」

父「ナナ! ナナ!」

私「もうツッコまんぞ私は!」

 

しかしこうじ君なので仕方ない。

「こうじ君だからね」という言葉は、我が家では魔法の合言葉なのだ。