毎日が告別式

人生どん詰まり元芸大生のブログ

レッテルを貼ってくる大人が嫌いだ

レッテルを貼ってくる大人が嫌いだ。

 

大人と言う生き物は、なんか知らんけれどもやたらとレッテルを貼ってくる。この場合の大人というのは、私より年上の人間という意味だ。年上であるということが正しさの証明になると本気で勘違いしている大人がたまにいる。そういう大人は、自分は年上だから、自分より年下の者にレッテルを貼る権利があると何故か勘違いしている。なぜなら自分は正しいから。年上だから。経験豊富だから。張り手を食らわせたい。

 

お前はこういう人間だろう、と言われるのがひどく嫌いだ。一言で表せるほど、人間は簡単ではない。人間は単色ではない。お前は赤色の人間だと言われるのがひどく不快だ。人間の感情は単色ではない。様々な複雑な色が合わさって、結果的に他人から赤色に見えているだけだ。実際は複雑なのだ。それを一言「赤色」と言い切ってしまう大人がひどく嫌いだ。

 

自分に置き換えてみればわかる話。よくよく考えてみろ。お前はそんなに単純な人間なのか。お前もまた他人から見たら赤色に見えている。しかし実際はそんな単純な色ではないだろう。お前もまたそう思っているだろう。自覚しているだろう。なのになぜか、自分以外の人間は単色だと勝手に決め込んでいる。

 

レッテルを貼ってくる大人が嫌いだ。

 

他人を理解することは不可能だ。そのことに気付かなければならない。人間は複雑にできている。他人がちょっと見たくらいじゃ、その人のことなんて何もわからない。

他人のほんの一部分だけを切り取って、お前はこういう人間だろうと言ってくる人がたまにいる。お前は過去にこういう発言をしていた、だからこういう人間だ。

そんな単純なわけがない。その発言をするまでに、必ず何らかのバックボーンがある。歴史がある。事情がある。それを知りもしないで、知ろうともしないで、たった一面だけをみて「こういう人間だ」と決めつける。暴力だ。これは新しい形の暴力だ。人は簡単に傷つく。気が付かないうちに傷ついて、少しずつ壊れていく。それが人間だ。

 

レッテルを貼ってくる大人が嫌いだ。

 

子供ならいい。同年代や年下ならまだいい。しかし大人はだめだ。何故私より何年も多く生きているのに、そんな暴力をふるうことができるのか、私には理解ができない。大人なのにどうして。大人なのにどうして。そりゃあ、その発言だけ聞けばそういう風に見えるかもしれない。しかし何故その発言だけを切り取るのか。思うだけならまだいい。なぜ直接レッテルを貼りに来るのか。

 

私は大人に絶望しているのかもしれない。何故大人なのに、レッテルを貼りにくるのだろう。何故そんな、子供みたいなことをするのだろう。しかし世の中の大人たちは私にペタペタとレッテルを貼ってくる。そして私もまた、気が付かないうちに他人にレッテルをペタペタと貼っている。絶望だ。最悪だ。自分に置き換えてみればわかる簡単な単純なことなのに、何故そんな簡単なことができないのか。もうおしまいだ。世界はおしまいだ。

 

他人を理解できるようになりたいと思った時期がある。しかし無駄だった。私がどれだけ相手に寄り添っても、相手にこちらを理解する気がなければ、ただ自分が苦しい思いをして終わるだけだ。無駄だ。すべては無駄なのだ。

 

みんな自分がかわいい。それと同じように他人をかわいがればいいだけの話。そんな簡単なことが、私たちにはできない。たぶん一生できない。だからいじめはなくならないし、戦争もなくならない。

 

おしまいだ。この世はおしまいだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

すべての人類と友達になりたかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

gwgw.hatenablog.com

 

言及していただきました!

わぁいありがとうございます!てっぺんとるぞ~~~~

 

 

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追記

gwgw.hatenablog.com

 

死にかけていた心がまけもけさんの素晴らしい記事のおかげで復活しました。

ありがとうございます。合掌。