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毎日が告別式

人生どん詰まり元芸大生のブログ

おもちゃ売り場に子供を放牧するな

 

おもちゃ売り場に子供を放牧するな。

おもちゃ売り場に子供を放牧するな。

 

何を勘違いしているのかは知らないが、おもちゃ売り場というのはあくまでおもちゃを売る場所であって、親が買い物をしている間に子供を自由に遊ばせる場所ではない。

お前の子供がガチャンガチャンと音を立てて遊んでいるそれは、お前の子供のものではない。店の売り物である。おもちゃ売り場に子供を放牧するな。

 

いまリサイクルショップでバイトをしている。服やら家具やら雑貨やらおもちゃやらいろいろ売っているのだが、このおもちゃ売り場がもう地獄。子供が放牧されている。

その間親は何をしているのかというと、お洋服を見ている。子供に罪はない。洋服なぞみてもつまらないだろう。だからおもちゃ売り場で遊ぶ。理屈は分かる。しかし不快で仕方ない。

 

おもちゃ売り場はレジのすぐ近くにある。「ママー!」と耳をつんざくような不快な奇声を発する子供たち。無理。もう無理。パスタかよ。ほんと無理。

おもちゃ売り場で遊んでいるだけならまだいい。(よくない)店内で鬼ごっこなんかされた日には日本の少子化を願って願って祈祷師状態である。無理。ほんと無理。

 

こういう話をすると、もれなく「あんたにもそういう時代はあった」と言われるのだが、そういう問題じゃない。子供に罪はない。罪は親にある。なぜ子供をおもちゃ売り場に放置してお洋服を見に行くのか。母親には服を見る自由もないの!? とか言われそうだが知ったことではない。産んだからには責任が発生する。しつけのされていない子供は動物と同じ。(人間も動物だけれど)。他人に迷惑をかけるな。世間に甘えるな。おもちゃ売り場で遊ばせるな。遊ぶなら買え。

 

しつけのされていない子供が多い。日に日に子供が嫌いになっていく。

昔はそんなことなかった。子供が大好きだった。中学生のころ、職場体験で保育園に行った。もう楽しくて楽しくてしょうがなかった。みんなかわいかった。みんな大好きだった。

 

しかし放牧されている子供は、微塵もかわいくない。汚い、うるさい以外何の感情もわかない。ママー!ママー!ママー!パスタ。パスタ。パスタ。クリーミーボロネーゼ。無理。ほんと無理。

 

「あんたも子供を産めばわかる」と言われる。産まない。絶対に産まない。もう本当に心から子供が嫌いである。世間が私を子供嫌いにしたのだ。

産めばわかるというが、じゃあ産まない人の気持ちはどうなるのか。そりゃ産めばわかるだろう。子供はいうことをきかないだろう。叫ぶだろう。走るだろう。苦労を知っているからほかの子供が騒いでいても許せるのだろう。

しかし私は無理だ。許せない。不愉快。汚い。うるさい。親がどれだけ苦労しているかなど知ったことではない。純然たる事実として今現在目の前で騒いでいる子供の存在が不快。これだけである。バックグラウンドになにがあるかなど知ったことではない。

 

寛容にならなければならないのだなと思う。子供は騒ぐものだから仕方ないと寛容にならなければならないのだなと思う。一昔前、飛行機の中で赤ん坊が泣き叫んでいて、それに耐えきれなくなった乗客が「もう降りる」と言って云々、みたいなのがあったけれど、私はその乗客の気持ちがよくわかる。「子供は泣くもの」と擁護する声が賞賛をあびていた。そりゃ子供は泣くもの。いやいやいや泣くものなんだから乗せるなよと。

 

■泣くのが仕事だとかいろいろ正当化理由をつけてるところが既に迷惑と感じている証拠。それより飛行機のように長時間内耳に負担かける場所に赤ちゃんを乗せるのは控えるべき!可哀想だ。[女性/30代/会社員]

 

この意見に私の言いたいことすべてが集約されている。誰も幸せにならない。

 

スタパスタパスタ。

 

何故我慢することが当たり前なのだろう。なぜ当然のように歩み寄らなければならないのだろう。騒ぐ子供。親が注意しているのならまだわかる。しかし当たり前のように子供を放牧している親。子供に寛容でなければならないという世間に甘えている親がいる。親になりきれていない親がいる。子供が子供を産むな。放牧するな。子供は動物じゃない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おまけ。

 

osakanafurby.hatenablog.com

 

 すべての子供が嫌いというわけではないです。

お題「これって私だけ?」