毎日が告別式

人生どん詰まり元芸大生のブログ

私がメンヘラになった理由

こんにちは。前回小学生の頃の担任の話を書いたのですが、

 

osakanafurby.hatenablog.com

 

他にもいろいろ思い出してきました。

あ、前の記事で男の先生は5年の時の担任と書いたけど6年の間違いでした。

 

6年間のうち、2度同じ先生が担任になったのですが、その先生がまぁまた頭がおかしかった。

女の先生でした。ある日、宿題が出ました。漢字ノートと、算数ノート。朝学校についたら、まずこの宿題を提出します。そして、忘れた人は黒板に名前を書きます。その場でやったら怒られます。忘れても怒られます。宿題を忘れること=この世の終わりでした。本当にそうでした。

 

そしてその日、私はちゃんと宿題を2つとも提出しました。しかし、先生が漢字ノートが出ていないという。でも私は間違いなく出した。でも先生はないという。でも私は絶対に絶対に出した。すると先生は私を嘘つき呼ばわりしだした。

 

みんなが移動教室でいなくなった後も、私ともう一人、宿題を忘れた友人だけがその場に残され、怒鳴り続けられました。

 

私「出しました!」

先生「嘘つけ!」

私「出しました!(ボロ泣きしながら)」

先生「嘘つくな!!!!」

 

冗談みたいですけど本当です。もう意味が分からないくらい何度も何度も怒鳴られた。でも私は間違いなく出したのだから、ぼろぼろ泣きながらも先生をじっと見ながら出しました、出しましたと連呼しました。

友人は「みりんちゃん、黒板に名前書こうか?」と聞いてきた。この友人まで私を嘘つき呼ばわりするのか。もうショックでしかたなかった。

 

そこからの記憶がありません。多分「じゃあ出していなのかもしれない」と思ってしまったんじゃないかな。

その次に覚えているのが、その数時間後だと思う。先生が、算数の宿題をチェックし始めました。そしたら私の漢字ノートもそこにありました。

 

「あ、ごめんこっちにあったわ」

 

たったそれだけで済まされました。今思い出しても涙が出る。出す場所は間違えていたけど、私はちゃんと出していたのに。嘘つき呼ばわりされたのに。でもたったそれだけで済まされるなんて。

 

たぶんこれがきっかけで、私は自分の記憶に自信が持てなくなってしまいました。私はたしかにやっていない。でもそんなにいうならやってしまったのかもしれない。そういう風に思うようになってしまいました。それで数年後、同級生の女の子と喧嘩したのですが、喧嘩自体は私の言葉足らずが原因だったのですが、なぜかそこから話が発展してしまい、私は言っていないのに、死ねっていった、殺すって言った、ってその子の親から言われました。でも私は言ってない。絶対に言ってない。あかん書いてたら涙出て来た。絶対に言ってないんです。むしろ喧嘩したことを本当に後悔していてまた友達になりたかった。

言ってない。言ってないんだけども、そんなに言うんのなら、もしかしたら覚えていないだけで私はそういったのかもしれない。そう思って「ほんとに言ったの?」と聞いてくる母に「言ったかもしれない」と答えてしまいました。

 

そこからが大変だった。その子のホームページに荒らしが現れたんですが、それも私だと言われた。私にいろいろされたんだって。なにもやってないのに。

学校で急に孤立し始めた。理由がわからなかった。その時、同じ小学校に通う弟が足を骨折していて、その介護のために母が学校に来ていたのですが、その母が見たというんです。私が一人になるように仕向けてるその子のことを。

 

体育館で整列しないといけなくて、私が並んでいたところに友達が来ようとしたら、それをその子が邪魔したらしい。母は「おばさん見てたよ」とその子に言ったらしい。でもその後は知らない。あの頃急に孤立したのは、全部その子のせいだった。

 

その子の親にもめちゃくちゃ言われた「何をするかわからない恐ろしい子」と言われた。なにもしてないのに。ほんとになにもしてないのに。で母はわざわざ私をそれに言う。そしてわたしはなにもしてないのに「あんたがあの事件みたいに同級生を殺すんじゃないかって」とか言ってくる。その頃小学生が同級生を殺す事件があった。母さんまで私の事をそういう風に思っていたなんて。

 

あまりにもお前がやった、お前がやったと言われるから本当に私がやったのかと思ってしまっていた。でも今考えたら、やっぱり言っていない。私は今でこそ口の悪い子ですが昔はそんなことなかった。もう昔の事だから確証はないけど、言っていないと思う。ああ、でもまたやっぱり「あんなふうに言うってことは、今覚えてないだけで死ねとか言ったのかな。小さい声で死ねばいいのに、とかそのくらいは言ったかもしれないな」

なんて思う。

 

 

でもねぇ、私は許さないよAちゃん。絶対許さない。

その時あんたの家庭大変だったらしいね。でも知らないよそんなの。絶対許さない。

 

不幸に不幸に不幸になればいいと思います

 

 

いっけね本題からそれちゃった。

人格形成に大事な時期にこんな目に遭ったら誰だってメンヘラになるよね。

んで先生の話に戻る。

5年生になった時に、またあの時と同じ先生が担任になった。5年生からは委員会活動が始まる。私は何があろうと絶対に放送委員会に入りたかった。

お昼の校内放送というのがあって、テレビに放送委員の人が出て、その日のニュースを毎日生放送するんですね。それにずっと憧れていた。

なので委員決めの時に立候補して、他の子にじゃんけんで勝って、私ともう一人、Yちゃんが放送委員になることになった。

そしたら先生が「あんたなんかにできるんかね」と言い出した。

もうね、いみわかんないくらいdisられた。できます、できますって何度も返事をした。絶対に朝遅刻しないこと等を約束させられた。遅刻とかしたことないのに。朝の校内放送があるから、絶対それに間に合うようにと言われた。あんたなんかにできるんかと何度も言われた。できますと何度も答えた。

その時はそれで収まったんですが、その後の「今月の目標」を書く時間で、「放送委員会を頑張ります」と書いたら、また先生が「あんたなんかにできるんか」と言い出した。さすがに泣いてしまった。なんでここまで言われなきゃいけないんだろう。先生もさすがにまずいと思ったのか、「なんでそれぐらいで泣くんよ」と言ったきりそれ以上は言われなかった。

 

それから私は毎朝頑張って早起きした。遅刻なんてしなかった。先生がひいきしまくってたYちゃんは一度だけ遅刻した。もうね、何がなんだかね。

 

 

 

 

 

 

 

 

まだあるよ~~~もう読まなくてもいいからね~~~つらいから吐き出すだけだから読まないでいいですからね~~~

 

 

 

社会の宿題で、水産についてノートにまとめてくるっていうのがあった。教科書の内容とか、ネットで調べたことをノートに書く。私は絵が好きだったので、調べた内容と、あと教科書に載ってあったヒラメの看板の絵を描いた。そしたら先生がまた怒った「だれがヒラメの絵なんか描けといった!」関係ない絵を描いたわけじゃないし、絵を描いちゃいけないわけでもなかったし、私はまとめの一環として看板の絵をうつしたつもりだったんだけど、それが気に食わなかったらしい。んでその授業の最後「みんなよくできてたね。なんかヒラメの絵描いてた人もいたけど」って笑いをとった。

 

消えたかった。

 

そんなんばっかりだよ。6年生への贈り物をなんにしよう? ってみんなで話し合ってる時も、全然話が進まなかったから私が思い切って提案したら、「は?」って言われたりね。先生にですよ。もうね、私がなにしたっていうんでしょうね。

やっぱり絵は得意だからそこそこ褒められたけども、この年ぐらいから色塗りが本当に嫌いになって、下絵はいいけど塗りがダメなんてよく言われてた。子供の頃、私は人の悪意にとっても鈍感だったから、それでも先生のこと嫌いじゃなかったんですよ。

 

 

 

ねえこれメンヘラにもなるでしょ? 自殺願望もわくでしょ?

親もね、最初は相談に乗ってくれてたけどね、だんだん「嫌な気持ちになるから犬にでも話せ」とか言い始めるしね。これで性格よいこになれってほうがおかしいやろ。

 

なんかもうこの世から消えてしまいたい。

 

 

すっかり自己評価は低くなってしまったし何のために生きてるのかもわからなかった。人の声はみんな悪口に聞こえた。死にたかった。アニメを見てたら親に現実逃避とか言われるし。逃避しなくていいように助けてくれよ。

 

そんな中で出会ったのが演劇。高校で。。

もうね、こんなに人に褒められたの人生で初めてってぐらい褒められて褒められて褒められまくった。才能あるとか人生で初めて言われた。数年ぶりに賞状を貰った。初めて新聞に載った。私は知らないけど向こうは私の事をしってる、なんてことが起こりはじめた。

 

結局その部活は、顧問がゴミクズになってしまって、その顧問が部活を潰そうとしている人で本気で悩んだんだけど、そんなゴミ顧問と闘いながらも毎年小さいながらも賞はもらった。賞状は顧問に預けるのがならわしだったのでそうしたら紛失された。死んでほしい。今では愛媛県の高校演劇の偉い人なんだってね。あんなに演劇馬鹿にしてたのに。後輩に私を無視するように命令してたんだよ~~ほんと意味わかんない死んでくれ。あと私の事心配して稽古を見に来てくれた他校の先生の学校にクレーム入れたりねえ。それでその先生が怒られてねえ。お前が無能だから助けにきてくれたのにねぇ。知らない学校の知らない先生にも心配された。本当にひどい顧問だった。同じ苗字だってだけで大好きだったDグレの神田ユウを嫌いになりかけた。

 

何年も前のことだけど、やっぱりできる限り不幸になってほしい。

でもまぁそんなクソみたいな環境下でも、やっぱりそこそこ活躍した。やっぱり新聞にも載ったしテレビにも出た。出演依頼も貰った。「この部活は今年で潰す予定だったけど頑張ったからやめとく」と卒業してから聞いた。ほんと無茶苦茶だ。まあ感謝してることもあるけどね……。

 

 

んで今やっぱり演劇をしている。

井の中の蛙とはよく言ったもので、私よりすごい人はいくらでもいた。そもそも地元に演劇キチガイがそんなにいなかったからね。

そしてさして評価されない毎日を送っている。でも時々は褒められる。その時々のために生きてる。

 

でもねえ、今が一番幸せですよ。私演劇知らなかったら間違いなく自殺してた。

絶対自殺してた。

 

高校生の時、月に一度劇作家による戯曲の書き方講座があった。その人にもらったメール、まだ印刷してとってある。

 

私には書く才能があるけど、それは私が持っている毒によって支えられている。私は作品に毒を盛るけども、時々それが痛々しく感じる。作品を暴力的だと大人に批判されたとき、私はどうしたか。むかつくむかつくと発散させて終わりだったんじゃないか。それではだめだ。毒はいつか、自分自身にまわって、いつかただの不平家になってしまう。だから、もっと大きく恨め。批判してくる人を黙らせるくらいに。

 

といった内容。

その一年後にもメールを貰った。演劇の最後の大会で敗退した時。「演劇は素晴らしいもの。コンクールはクソみたいなもの。この二つを混同しないでほしい。書くことは続けろ」みたいな。

そして最後に返信不要ですって書いてあった。かっこよすぎかよ。

 

当時地元の高校演劇は、上が中々に腐っていまして。今はどうかしらないけどね。

例えば全国大会常連校がいたんだけど、地区大会ではもうその学校審査してないのね。いやしてるんだろうけど、最後の講評で「作品は未完成でしたが、これからどんどん良くなるんでしょうね」みたいなことを言われてる。本来なら未完成なものを持ってきた時点でアウトなのに。ほかのどの学校よりも講評が短いし褒めることしか言わないんだよね。確かにめちゃくちゃすごい芝居をするところなんだけど、その未完成云々のに関しては疑問しかなかった。あと顧問が嫌われてるからその学校の作品が評価されないみたいな。ほんとかは知らないけどね。

 

「高校生らしさ」っていうのが高校演劇の審査基準にある。今はあるかしらないけど。

いみわかんないよなー。高校生に受ける芝居を書いても、審査員はおじいさま方だからなぁ。それって高校生らしさじゃなくて、「理想の高校生像」じゃん。

なんておもったりして。

 

そんな地元の高校演劇も、すっかり廃れてしまったらしい。

毎月やっていた高校演劇のワークショップもなくなった。とある学校なんかは、ワークショップに行くことを禁止されていたという。なんか何やってるかわからなくて怪しいからだって。無茶苦茶だ。

つぶれてしまった演劇部もある。地元の高校演劇の掲示板は、もうほとんど停止している。

 

とても悲しい。

 

私の時は、顧問がクソだった分周りの人たちがほんとうによくしてくれた。ほんとにほんとによくしてくれた。もしいま演劇を学びたいけどそういう機会がない、なんて人がいたらなんとかしてあげたい。

いるのかなぁ。わかんないけどね。

 

 

なんかここまで書くと、承認欲求満たすためだけに演劇やってるみたいだけど、別にそういう訳じゃない。もちろんそういう時期はあったし、今も多少はある。でもたまにぼろかすに言われても、やっぱり続けてるから、なんかもうそれだけじゃないんだろうね。

 

 

 

 

というわけで好きなだけ演劇やって、いよいよ首が回らなくなったら、その時は死のうと思います。人生は一回きりだからね。

お題「わたしの黒歴史」

 

 

 

 

 

追記

はてブの方、志月さん(id:black-koshka   )コメントありがとうございます。

やさしいおばちゃん……(´;ω;`)好きなだけやります!