毎日が告別式

人生どん詰まり元芸大生のブログ

天津木村のエロ詩吟に関して

熱が出た。しかしどうしても書きたかったので、書く。

 

しくじり先生に天津木村が出ていた。

エロ詩吟がブームになったのは2008年。当時私は15歳。

15歳。下ネタや性的な物事に対して潔癖な年ごろ。

本当に本当に不愉快でしかたなかった。

 

性的なもの=汚いもの。下ネタ=汚いもの。だからそれで笑いを取る人も笑う人も汚い存在。そんな風に真剣に思っていた。なので天津木村のネタで笑ったことなんて一度もなかった。

しかしいつだったか、年末年始の特番で見たエロ詩吟

 

「おせち~~~~~~~

おせち~~~~~~~

おちち~~~~~~~~」

 

というネタで何故か笑ってしまった。そして突然エロ詩吟が受け入れられるようになった。

 

「この人は別に人を不愉快にしようと思ってエロ詩吟をやっているじゃないんだな」

 

と、当たり前と言えば当たり前なのだが、その時初めて理解した。

しかしそれから、天津木村の姿をテレビで見ることはほとんどなくなった。

 

そして今日テレビをつけたら、しくじり先生に天津木村が出ていた。

エロ詩吟は大流行したが、詩吟界からは大バッシングを受けたらしい。

それはそうだ。

私は落語が好きなのだが、桂ぽんぽ娘が落語の所作を使った下ネタをテレビでやっているのを見たとき、不愉快で不愉快で仕方なかった。詩吟界の人も同じ気持ちだったんだろうな。

 

天津木村は除名になり、その父親も除名になったという。

詩吟界の人に「息子のエロ詩吟をやめさせろ」と言われて、

 

 「息子がやっとつかんだ成功のチャンスをつぶす親がどこにいますか?

息子のためなら私は詩吟界を去って構いません」

 

と返答したという。もうテレビ見ながらボロ泣き。

天津木村自身も反省しているという。下ネタを使わない詩吟ネタを模索しているそう。

 

番組終盤、天津木村父が登場し、息子に向けて吟じたのが、

 

「鳴く声の良きも悪しきも親鳥の教えによるぞ藪の鴬」

 

子供がどうなろうと親の責任、という意味らしい。まあ泣いたよね……。

 

放送後、気になったので「天津木村 除名」で検索してみた。

するとこんな記事がでてきた。

 

ネタを一度聞いたら忘れられない「節回し」が話題を呼び、「あると思います」は2008年の流行語大賞確実と言われていた。

一方、詩吟の世界では批判殺到。

詩吟の師範だった父親に「詩吟を侮辱する行為」として詩吟界から大ひんしゅくを買った。父親は息子である天津木村を庇い、「エロ詩吟」を容認。親子でイベントに参加し、自作のエロ詩吟を披露したり息子の活動を応援した。

その理由は、「詩吟を知ってもらういいきっかけとなる」と思っていたようだが、詩吟の世界でどんどん立場が追い込まれていった。全国の詩吟教室から「言語道断」と書かれた手紙が来たり、誹謗中傷を浴びながらも師範の父親は息子を庇ったが、ついに父親も詩吟界から除名をされ、天津木村と共に師範代の名を手放すことになる。父親は、自分自身も除名になりながらも、息子のお笑い芸人としての活動を支えていたのだった。

http://dokujyoch.net/archives/65391662.html

 

番組では詩吟人口は300万人と謳っていたが、実際は非常にマイナーな芸能だ。

天津木村のネタで、初めて詩吟を知ったという人も少なくないと思う。かくいう私もそうだ。

「知ってもらういいきっかけ」

という言葉。実際に彼らがそう思っていたかどうかはわからないが、天津木村のエロ詩吟で、詩吟の知名度が上がったのは確かだ。

 

そういう観点で見たら、別にエロ詩吟は責められるようなものではないのかもしれない。確かに下ネタは人を選ぶし、私も最初は嫌でしょうがなかった。しかし、それを面白いと思っていた人もたくさんいる。

確かにエロ詩吟=詩吟を馬鹿にしている、と捉えられても仕方ない。

しかし、詩吟という文化を発展させたいと思うのなら、そこは多めに見るべきなんじゃないかな。(細々と内々でやっていきたいというのなら別だが)

 

話は変わるが、私は大学で日舞を習っていたことがある。

日舞の先生は、いつどこで出会っても常に着物を着ていた。

「×月までは、冬用の着物を着ます。どんなに暑くても、×月までは冬用の着物を着ます。でないと笑われるんです」

と先生は言っていた。何月までかは覚えていない。

それを聞いたとき、「その意地に何の意味があるんだろう」と思った。

「伝統」なのかもしれないが、私には「意地」にしか思えなかった。

今と昔では気候が違う。昔の×月は暑かったから夏着物にしていたんじゃないのか。

暑い中わざわざ冬着物を着ることに何の意味があるのか。

こんなことを言ったら怒られそうだが、私にはそれが伝統というよりかは意地でしかないように思えた。

 

まとめサイトか何かで見た話。若い人が着物をアレンジして着ていたら、きっちり着物を着ていたおばさま方にいちゃもんをつけられまくったらしい。そういう人が嫌だから着物って着にくいんだよね。私も趣味で着物をたくさん持ってるけど、着て外出することはほとんどない。何言われるかわかんなくて怖いもん。

 

日舞狂言や落語や講談、いろんなことを勉強した。

色々な事を教わったが、「それって現代でも本当に大事にしなきゃいけないの?」と思うことが多々あった。もちろんちゃんと理由はあるんだろうけど。

 

伝統文化になると、日本人は途端に意固地になる。

もっとひらけばいいのに。

伝統だからとすべてを必死に守るんじゃなくて、時代に合わせて取捨選択すればいいのに。

と、思う。あくまで個人的な意見。

 

詩吟に関してもそう。もっとひらけばいいのに。

確かに自分が必死で勉強しているものを、笑いのネタにされたら嫌かもしれない。でもそれも広い心で受け入れたらいいのに。そしたら、ゆくゆくは詩吟人口が増えるかもしれないじゃない。

プライドは文化を潰すと思うんだ。

 

 

なんてことをいいつつ……。

でもね、時代の流れだから仕方ないとは思うんだけどね、私も一つだけ不愉快なことがある。最近の浴衣の柄。なんかリボンがピンクがひらひらが蝶がキラキラがと、美しくない。あんま好きじゃない。

 

 

結局は個人の趣向ですかね。

 

 

 

おまけ

私は一時期落語研究会に所属していた。別に私の大学に限定した話ではないのだが、落語や漫才等お笑いをやっている学生は、一部「下ネタ連呼しとけばとりあえず笑いが取れておいしい」と思っていそうなクソがいる。

ほんとにどうかと思う。下ネタは人を選ぶのだ。知り合いに、落語をするときにペペローションを高座に持ち込んだ人がいるらしいが、ほんと死んだ方がいいと思う。

 

ほんとそういう人たちに今日のしくじり先生を見せてやりたい。下ネタの使い方は考えなきゃいけないよ。

 

 

 

おわります