毎日が告別式

人生どん詰まり元芸大生のブログ

金がなさすぎて水商売に走ったわけだが

はいどうもこんにちはみりんです!

何か月ぶりの更新かしら。もうね、いろいろあったんですよ。ほんとにいろいろあったんですよ。あ、胸毛(彼氏)とは別れました。はい。

はい。それでですね、今は東京に住んでいます。ずっと憧れていた劇団の研修生になって、毎日稽古場に行って、旅公演にも行って、もうとってもしんどくてとっても楽しかったんですがそれよりもですよ。

はい。それよりもですよ。タイトルですよタイトル。金がなさすぎて水商売に走りました。ネタだと思った? 残念~! 現実で~す!(残念なのは私の金銭管理能力)

言うてアレですよ。水商売と言ってもキャバクラとかそんなのではなくてガールズバーです。カウンターごしにお客さんとしゃべるというそんだけの仕事です。

 

あれですよ、劇団の稽古が約1か月あって、公演も地方公演を合わせると2か月くらいあってですね、その間バイトできないんですよ。いや頑張ればできたのかもしれないんですけど夜10時に稽古場出てそこからバイトにいく体力はちょっと私にはありませんでした。

そんな三か月間の生活費やら引っ越し費用やら、とにかくお金がかかりまして、公演が終わったころには虚無です。はい、虚無でした。

もう公演も終わったんだしバイトすりゃいいじゃんって話なんですが、みりんはアホなので今度は別の劇団の公演に参加させていただくことになりまして、はい、だからなかなかバイトができない。

 

そこで水商売ですよ!!

 

えっ短絡的だって? 大丈夫私もそう思う。

こないだも初対面のおっさんに「ちょっと安直だよね」って言われた。

いやね、なんかね、噂で聞いたんだけどね、某所に店主がやたらと話しかけてくる古着屋があると聞いてね、近所だったんで行ってきたんですよ。友人がその古着屋で「なかなか面白いファッションしてるね」みたいに言われてそこからすごく話しかけられまくったと聞いてね、その友人と私の服の系統割と似てるんで、あれ、もしかして私もかまってもらえるんじゃね? と思って行ってきたわけですよ。(いわゆるサブカルクソ女っぽい服装)

 

サブカルクソ女感丸出しの格好で行ってきました。そしたら案の定話しかけられました。

 

「なかなか攻めた格好してんね」

 

ひえぇ~wwwwwwwwww

「何かやってる人?」と聞かれたので「演劇やってます」と答えまして。

それからあれこれいろいろと聞かれまして、あ、劇団の名前は出さなかったんですけどね。そのおっさんも素性を明らかにはしないもののなんか大物感を出してくる。なんか知らんけどスタイリストを自称し、「その服は(有名女優)が着てた服」とか言ってくる。何者やねんお前は。

 

おっさん「大学はどこなの?」

わし「大阪芸大です」

おっさん「ああ、あの芸大って言っていいのかみたいなところね」

わし「(自分で自分のことブスって言うのはいいけど人に言われるのは嫌だなぁ)」

おっさん「この間もその大学の子が来たんだよ」

わし「えっっそうなんですか!?(知ってた)」

おっさん「うん。なんかそういう子が集まるんだよねぇ……」

 

いや何者やねんお前は。

だんだん鬱陶しくなってきたので退散しようとしたのですが矢継ぎ早に話しかけてくるからかなわない。んでもうあれこれ聞いてくる。根掘り葉掘り聞いてくる。

んでなんか経済状況の話になって、「さっきガールズバーの面接受けてきたんですよ」という話をしたら、冒頭の「安直だよね」ですよ。うるせー! 黙れ! 実は私もそう思ってた!!!

 

そしたらダイニングバーとテレアポの仕事を進められました。なんか夢追い人が多いらしくてシフトの融通が利くんだって。ガールズバー辞めたら考えよう……。

とにかくそのおっさんひたすら話しかけてくるんですよ。目を合わせるのが嫌だったんでずっと店内の服を見てたんですけど。私はいい人なので「こっちからも話しかけたほうがいいかな?」なんて思って「この服にはどんなインナーが合いますか?」なんて質問してみたんですけどね、

 

わし「どんなインナーが合いますか?(透ける素材のやつ)」

おっさん「タンクトップかカットソーだろうね」

 

そりゃそうだろうよ!!!タンクトップかカットソーだろうよ!!わたしは!!どんなタンクトップかカットソーかって聞いてんだよ!!!!!!

 

はい。あとね、店内にやたらと酒が展示してあったんですがね、

 

おっさん「酒飲むんでしょ?」

わし「えっ飲まないですけど、なんでですか?」

おっさん「さっきから酒瓶見てるから(謎のどや顔)」

わし「あ、いや、綺麗だなぁと思って……」

おっさん「(やや前のめりで)ほら!!!君はそういう審美眼を持ってるんだよ!!!芸大に通ったことは無駄じゃなかったわけだ!!!」

わし「は、はい……」

 

何のテンションやねんそれは。

店内の商品もあらかた見てしまった。仕方ないからおっさんと向き合って会話する。なんかしらんけど説教されたり褒められたり。(根性あるなみたいな)

 

おっさん「絶対に成功する方法を教えてやろうか」

わし「はい」

おっさん「あきらめないことだ」

わし「はい……(あかんあかんわろたら負けやわろたら負けや耐えろ耐えるんだ)」

 

おっさん「人見知りでしょ?さっさと帰ろうとしたもんね」

わし「はい……(そりゃ古着屋やねんから服見終わったら帰るやろ普通)」

 

おっさん「困ったらいつでも飯を食わせてやる。ただし、努力を続けること」

わし「はい……」

 

 ほんま何者やねんお前は。

小一時間ぐらい話してました。

悪い人ではなかったです。

 

 

 

 

 

 

あかんガールズバーの話しよ思ってたのにおっさんの話してたらしんどなった。

また次回。

24歳だけど父親に叩かれたので家出します

お久しぶりですがそんなことより私は今叔母の家にいます。

はい。家出しました。24歳にして家出しました。

 

前に家出したときの記事はこちら

osakanafurby.hatenablog.com

 

この記事を書いた当時、私は大学生でした。父との関係はぎくしゃくしておりました。

しかし大学4年のある日、父との距離が急激に縮まるイベントが発生しました。

父の入院です。酒に酔って階段から落ちて頭を怪我して入院したのです。

先ほどその当時の記事を大量に投稿したので、もし暇だったら読んでください。

 

osakanafurby.hatenablog.com

 

つまりこういうことです。

アル中の父が酒に酔って階段から落ちて障害が残る大けが→酒タバコは今後一切禁止→入院先で脱走したりタバコを吸ったりして病院側から見張りをつけるよう言われ、家族親族で協力しながら監視→退院→別病院に入院→タバコを吸って強制退院→退職し家に帰る→表面的には禁酒したように見える→しかし酒瓶が見つかる→母親がブチ切れて酒瓶をたたき割る→禁酒→あれれ肝臓の数値がおかしいぞ→父の部屋から五リットルの酒が見つかる→つまりクソ。

 

はいクソ。

 

過去記事を読んでもらったらわかると思うんですけど、父の酒の件で我々家族はとても心をすり減らしたのですね。それなのにまた酒を飲むというのは裏切りですよね、はい。

 

んでそれと今回の家出がどう関係あるのか。

まず我が家では犬を飼っているのですが、その散歩は父の仕事ということになっています。もともとは私と弟の仕事だったのですが、引っ越しに伴い自動的に父の仕事に。

リハビリの意味合いもあります。少しでも運動させなきゃという母の意向でもあります。

 

↓参考までに

osakanafurby.hatenablog.com

 

しかし父は運動したくない。私は今いろいろあって一時的に実家に帰省しているのですが、娘がいるなら娘に散歩に行かせたいというのが父の意見。

母曰く、私が帰省した途端、父はいろいろな仕事を放棄し始めたらしいです。まあ気持ちはわからなくもない。

しかしもともとは私が飼いたいと言い出した犬。私も散歩に行くべきなのですが、私が行くのはバイトが休みの日の夜だけ。散歩は朝晩一回ずつ。私のバイトは昼からなので、朝散歩に行く時間はいくらでもあるのですが、どうせ父がいくからとほったらかしていました。

 

それがよくなかった。本当に反省している。

ある日、昼前に起きてきて居間で化粧をしていると、犬がやたらこっちを見てくる。こっちを見ながらしっぽをふりつつひぃひぃ言っている。これは散歩に連れていけという意味だ。うちの犬はきれい好きで、絶対自分の敷地内ではうんこをしない。うんこは散歩に行ったときだけにする。つまりこれは、便所に連れていけという意味のひぃひぃだ。朝から誰も散歩に行っていないのだ。

 

私「散歩行った?」

父「ご飯食べたら行くよ」

 

ごはんとはおひるごはんのこと。父の昼食はいつも私が用意している(レトルト)。しかし昼食を食べ終わってからだと散歩に行くのが遅くなる。犬は現在進行形で迫りくる便意と戦いながらひぃひぃ言っているのだ。

先に散歩に行ってとお願いしたのだが、父は動こうとしない。そしてなぜか布団に入りはじめる。「散歩いかんとご飯つくらんよ」と何度も言ったのだが、「先にご飯を食べる」と言ってきかない。いつもならしばらく言い合うと散歩に行くのだが、この日はなぜか絶対に動こうとしなかった。

 

「じゃあ私が散歩いくけんね、ご飯はいらんね?」

「いるよ」

「じゃあ散歩いってよ」

「後でいくよ」

「散歩いかんとご飯せんよ。もう私がいくけんね。ご飯いらんね?」

「いるよ」

 

らちが明かないので私が散歩に行った。ご飯は用意しなかった。(そもそも父は自力でご飯を用意できる)。この日から雲行きが怪しくなる。父の部屋から酒が見つかったのもこのあたり。

そして次の日も父は散歩に行かなかった。朝、母の怒号が聞こえる。散歩に行けと怒鳴っている。しかし父は行こうとしない。母は怒鳴る。父は動かない。母は再度怒鳴る。しかし父は動かない。(母が自分でいかないのは面倒だからではなく父のリハビリのため)そして、母が出かけると同時に父は私に向かって散歩に行けと言った。結局私が行った。「ごはんいらんね?」というと「いらん」というので用意しなかった。

 

そして翌日。母に「洗い物しとかんかいよ」と言われる。いつも洗い物は父がしている。私はたまに夜にやるだけ。父の昼食を用意するのを放棄しだしてからも、私は洗い物をほったらかしにしていた。(夜にまとめて食器洗い機でやればいいかなと)

朝食を食べ終え、数時間後に居間に戻ると、私の食器以外の食器がきれいに表われていた。これはあかんやつやとなんとなく思った。

ここ数か月、父は温厚だった。しかし今の父は酒を飲んでいる。私の父は酒を飲むと人格が変わるのだ。つまり、いつなにが起きてもおかしくない。

 

しばらくすると父が居間にやってきた。自分で昼食を用意している。私も、と思って台所に立つと、父が急に「お前、自分の食器は洗えよ」と怒鳴ってきた。

字面だけ見ると「別に普通のことやん」と思うかもしれないが、そうでない、怒鳴ってきたのだ。目の色が完全に変わっているのだ。ものすごい威圧感で怒鳴りつけてきたのだ。顔がめちゃくちゃ怖い。なんていったらいいのかな、ほんまに目をかっぴらいて眉間にしわをよせて仁王立ちで腹の底から演劇部のように太い声を出して怒鳴りつけてくる。めっちゃ怖い。

 

「お前、自分の食器は洗えよ!」

「わかってるよ」とか「怒鳴らんでもええやん」とか言ったと思う。しかし父は私の発言の一つ一つにまた激昂して怒鳴りつけてくる。昔からだ。このモードに入った父は完全に別人。非常に恐ろしい。子供のころは泣いておびえていた。しかし私ももう24歳。怖さより不快感が勝った。「私には私のタイミングがあるんや」「そんな人に怒鳴り散らせるほど、父さんはえらいん」と言った。「えらいとかえらないとかそういう問題じゃないんや!」と怒鳴られた。そして追いかけてくる。アッこれ殴られるやつや、と思ったので急いで二回に逃げた。うーん既視感。しかし父は追いかけてこなかった。

 

そして頃合いを見計らって居間に戻り、昼食を終えた私はバイトに向かった。洗い物はしておいた。私が玄関で靴を履きだすと同時に父は台所に向かったので、おそらく洗い物をチェックしにいったのだと思う。もししていなかったらと思うと本当にマジで怖い。

 

そして夜。バイトを終え家で夕食をとっていると、父が話しかけてきた。人格豹変モードは終わったのかな? と一瞬思ったのだが全くそんなことはなかった。

「お前、朝ワシに、そんなに偉いんとか言ったがあれはどういう意味ぞ」

父はいちいち丹田に力を込めながら腹の底から怒鳴りつけてくる。演劇部かよ。

「人に怒鳴れるほど偉いんかって言ったんよ」みたいなことを言ったと思う。「普通に言ったらええやん」と。すると「普通に言っても言うこときかんやろ!」とまた怒鳴る。「怒鳴ったら言うこときくと思ったん?」と聞いたら、ハトが豆鉄砲を食ったような顔をして「思った」という。「きかんよ」というと。「きかんのか」と言う。

おっ怯んだな、と思ったのもつかの間、父はまた人格豹変モードにかわり、あれやこれやと怒鳴りつけてきた。なんかもうどんな会話をしたのかも忘れた。お分かりのように父は子供である。しかし父の制作物である私もまた子供であった。怒鳴られるたびに言い返した。怒鳴ればなんでも思い通りになると思っているのも不愉快。

そして髪の毛をつかまれてゆさぶられた。オッついに手が出たなと思った。母に助けを求めた。母は父を宥めようとする。私はへらへらしている。叩かれる。また髪をつかまれる。母はなんとか宥めようとする。すると今度は母に矛先が向く。「お前も上から目線で!」とかなんとか怒鳴っている。なんかもう発言が支離滅裂である。しかし母はけなげに謝り続ける。わたしはとりあえずスマホを取り出し父の発言を録音し始める。はいクソ。

 

そして母に宥められ、父は自室に去っていった。母には「大人になれ」と言われた。父がああなったら手がつけられないのはわかっているだろうと。しかし私は24歳にしてクソガキだった。「殴らせたらええんよ。ほんでぼこぼこにされたら警察呼べばええんよ」と言ったのだが、母にそれはいけないと窘められた。

 

そして私は家出することにした。翌日(つまり今日)はバイトが休み。家にいたら間違いなく戦争になるので、避難することにしたのだ。

 

行先は前回同様叔母の家。母と叔母は仲がよく、父のことは常に相談し合っていた。今回酒が見つかった時も、父は叔母にこっぴどく叱られたのだ。

 

私「家おったら虐待されるんで家出してきました~!」

 

叔母は温かく迎えてくれた。叔父も笑いながら迎えてくれた。

ところで、私はもうすぐ東京に引っ越す。父には「東京行くのはええけど、二度と帰ってくるなよ!」と言われた。その話をすると、叔母に「じゃあここに帰ってきたらええんよ。じいちゃん家もあるんよ。どこへなりと帰ってきたらええんよ」と言われた。こ、ここは天国か?

 

本当は一日家出したらさっさと帰るつもりだったのだが、なんだかそうもいかないらしい。私は今もなお叔母の家にいる。上げ膳据え膳で。「こき使って~」と言ったのだが、「何を言よんあんたは大切な子やのに」とか言われた。天国か?

 

食後、腰が痛かったので横になっていると、叔母が洗い物をする音が聞こえてきた。

台所に行き「手伝うことない?」と聞くと、寝ときと言われ、叔父には「体調悪いならじっとしとき」と言われた。別に体調悪ないで、腰痛いだけやでと言ったのだが「寝とき」「寝とき」天国か??????

 

しかし本当に何もしないわけにはいかないので、洗い物をしたり野菜を切ったりはした。夜、母親が様子を見に来て、

 

母「あんた、ちょっとは手伝いせんかいよ!」

私「したし!柿むいたし!」

母「むけたん!!!」

叔母「水菜も切ったしねえ」

私「切ったし!」

母「きれたん!!!」

私「白菜切ったし!」

母「白菜きれたん!!!!!」

 

いちいち馬鹿にしてくるのがはらたつ。

 

というわけで私は今もなお家出をしている。

はい反省してますはい

退院

※別ブログに載せていた過去記事です

 

↓前回

osakanafurby.hatenablog.com

 

病室には、短くても5時間はいた。

なかなかに暇なので、鶴をおることにした。

 

名付けて、「オトンを元気づける千羽鶴プロジェクト」だ。

病室にメモを残して、折り紙を置いておくと、叔母達も一緒に折ってくれた。

 

「プロジェクトに参加しといたで~」

 

みると、鶴が増えている。形がすごくいびつなのが、たぶん叔母のである。私もせっせと鶴を折っていると、やってきた看護婦さんが

 

「あら、千羽鶴折ってくれよるよ」

「はい」

「父を元気にするプロジェクト(笑)」

「はい」

 

ちなみに千羽いかなかった。

150羽鶴だった。父は退院したのだ。

 

お見舞い三回目くらいから、急に父が元気になった。

同じ会話を繰り返さないのだ。最初は張り紙の効果かと思った。

しかし違う。表情がいつもと全然違うのだ。そして軽口をたたくのだ。

その日の夜、せっせと鶴を折っていると、父がこういった。

 

「鶴折る暇があったら、焼き鳥でも買ってきてたべよや」

 

父に食べ物をリクエストされたのは初めてのことだった。

食欲がわいたのは、とても良いことだ。

 

「かってこよか?」

「おう」

「優しい娘やでほんま」

「親の教育がええんや」

「どの口が言う」

 

たったこれだけの会話に、どれだけ重みがあったことか。

たったこれだけの会話をするまでに、どれだけの時間がかかったか。

 

9日。地元の叔母と母がやってきた。

父はもうすっかり元通りになっていた。

その日の夜、母と地元の叔母と私の三人で焼肉に行った。

父が倒れた日に行った焼肉は本当にまずかった。おなかを下した。

なので、リベンジである。

その日入ったお店は、本当に本当においしかった。

私の中では打ち上げだった。

 

前日が母の日だったので、LASHで買ったギフトセットをプレゼントした。母からはムーミンのパジャマをもらった。なぜか女児用だった。キレて脱ぎ捨てた(かろうじて着られた)

 

母が「あんたと叔母ちゃんとでホテルに泊まらんかい」と言う。

叔母はわかるが私を泊めてどうする。母は明日、父を連れて帰るために何時間も車を運転するのだ。

「私が病室にいるからいい」と固辞したが、結局私が泊まることになった。

今回頑張ったから、らしい。頑張ったのはみんな同じだ。

叔母とは申し訳ないもったいないを連呼しながら泊まった。朝ごはんは最高だった。

 

翌日、退院の日。

叔父もやってきた。病室には、私と母と父と地元の叔母と神戸の叔父がいた。

大所帯だ。

先生と看護婦さんがやってきた。

大所帯にちょっと笑っていた。

看護婦さんが、協力ありがとうと言った。交代で見張ったこと。

神戸の叔母の言葉を思い出す。

私にとっては父なので、協力なんていうとおかしい、あたりまえのことなのだ。

 

それから、父は退院した。

神戸の叔母と従兄にお礼のメールを送った。

叔母の「また会う日まで」というメールがなんだかグッとくる。

従兄とは、今度従兄の出演する舞台を見に行くことになった。

没交渉だった親戚と急に距離が縮まった気がしてうれしい。

 

全員でぞろぞろと病室から出た。

エレベーターが狭いので、私は階段を駆け下りた。

母が支払いを済ませて、病院を出る。

やけに空が広かった。

久しぶりに晴れていた。私の心も晴れていた。

 

それから、母が運転する車で、叔母と父は愛媛に帰った。

父はこれから地元の病院に転院し、今度はアルコール依存症の治療をメインに行うらしい。

まだ記憶がとぶこともあるらしく、たばこを買おうとして怒られたらしい。

しかし、財布の中身は母が抜き取ってあるので不可能だ。

 

叔父が神戸の人なので、神戸駅まで送ってもらった。

この叔父も、もう何年も会っていなかった人だ。

幼少期に怒られた記憶があるので、本能的になんか怖い。

しかし、いい人だった。みんなみんないい人だった。

 

私の鞄の中には、まだ折り紙が入っている。

父の入院生活はこれからも続くのだ。

来月、祖母の法事で帰省するときに、残りの鶴を渡そうと思う。

それまでに千羽になっていればいいけれど。

 

それから数か月後。祖母の七回忌のために、実家に帰った。

父は、退院していた。というか、退院させられていた。

なんでも、また病室でこっそりタバコを吸って、追い出されたらしい。

もういい加減にしろという感じだ。

母曰く、「復職できると思っとったらしくて、できんならもうちょっと入院したろってことらしい」……らしい。

 

入院したての頃は、ろくに歩けないし記憶力や理解力もないしで大変だったのだが、今の父は、いたって普通の人である。

しかし、軽度だが障害が残った。その名も、高次脳機能障害

 

「どんな症状なん?」

「物の名前が覚えられんとか」

「元からやん」

「子供とリモコン取り合って喧嘩するとか」

「いや元からやん」

 

そう、ほとんどの症状が入院する前からあるのだ。

例えば、物の名前が覚えられないこと。

父は昔から物の名前が覚えられない。例えば、この世に存在するすべての犬のことを「ラッシー」と呼ぶ。

我が家ではタロという名前の犬を飼っているのだが、父は「ラッシー」と呼ぶ。また、叔母の家では、ルッシェルという名前の犬を飼っているのだが、父はやはり「ラッシー」と呼ぶ。

他にも、トイレのことをペンギンと呼んだり、(男性用小便器がペンギンの形に似ているから?)古本屋のことを廃品回収と呼んだり。

もしかしたら私の名前も覚えていないかもしれない。

 

なんでも、父は若いころにバイクで大事故を起こし、記憶喪失になったことがあるらしい。母は、「もしかしたらその時にはすでに高次脳機能障害だったのかもしれない」と言う。私もそんな気がする。

 

ただ、脳に酸素がまわりにくくなったらしく、あまり出歩けなくなってしまった。それを除けば、いつも通りの父である。むしろ、禁酒してアルコールが抜けた分温厚になっていて、それはそれでいいのかもしれない。

 

「こうじ君だからねー」

 

と母は言う。高次脳機能障害、通称こうじ君。

こうじ君なので、色々とやらかしてしまうのは仕方ないのだ。

 

例えば、父はいまだに隠れてタバコを吸っている、らしい。

全て処分したはずだし、財布も没収されているはずなのに、どこからか小銭を集めてタバコを購入している。

 

我が家は、なぜかいたるところに小銭が落ちている。そして、最近父はずっと掃除をしている。掃除をすると小銭がたまる。(RPGかな?)

小銭を集めるために掃除をしているのかもしれない。

 

バレたらそれはそれは怒られるので、最近は吸っていないみたいだが、もしかしたら今日も隠れて吸っているのかもしれない。

 

しかしこうじ君なので仕方ない。

 

私「オトンがタバコ吸って倒れたら、迷惑するのはオカンなんやけん」

母「ころっと死んでくれたらいいけど、半分生きてたら世話せないかんやん」

父「さあ殺せ!」

私「ほうよ。ころっと死んでくれたらいいけど、生きとったらみんな看病せないかんけん大変やん」

父「さあ殺せ!」

母「殺さんわ!」

 

しかしこうじ君なので仕方ない。

 

父「タバコちょうだい」

母「もう全部処分したからね」

私「タバコ買うけん一銭も持たせたらあかんね……」

父「千円ちょうだい」

私「寝んかい!」

父「家族に捨てられた父は、ただ戦場を立ち去るのみ……」

私「やかましい!」

 

しかしこうじ君なので仕方ない。

 

父「あいつはほんまに馬鹿やのう。ほんまに馬鹿や」

私「あんま馬鹿馬鹿言わんの。自己紹介かと思われるで」

母「自己紹介(大爆笑)」

父「……。」

 

しかしこうじ君なので仕方ない。

 

私「あっ! ハチや!」

父「ナナ! ナナ!」

私「もうツッコまんぞ私は!」

 

しかしこうじ君なので仕方ない。

「こうじ君だからね」という言葉は、我が家では魔法の合言葉なのだ。

高次脳機能障害

※別ブログに載せていた過去記事です

 

↓前回

osakanafurby.hatenablog.com

 

それから一日後だったか二日後だったか、もう一度病院に向かった。

 

今度は母もいる。神戸在住の叔母もいる。従兄もいる。会うのは何年振りか。少なくとも5年は会っていない。

母と叔母と従兄はナースステーションで話を聞いていた。

暇だった私は父の病室に向かった。

手土産は551の豚まん。私のお気に入りだ。

父に手渡すとさっそく食べ始めた。父と私とで2個ずつ食べた。太る。

 

その時、私は551の紙袋とは別に、もう一つ紙袋を持っていた。

看護婦さんが父から没収した、たばこやらなんやらが入っていた紙袋だ。

隠しておけばよかったのに、それが父に見つかってしまった。

 

「それはわしのじゃ」

 

という父。しかし渡すわけにはいかない。

仕方ないので、ナースステーションまで走って、会議中の母の足元に置いてきた。

 

「母さんのところにおいてきた」

「なんでや。あれはわしのじゃ」

 

取りに行けとうるさい父。仕方ないので一度病室を出てすぐ戻る。

 

「ちょっと母さん忙しそうやったけん今は無理」

「お前は後先考えんからいかんのじゃ」

 

何故怒られなければならないのか。なんで私が怒られなければいけないのか。

非常に不愉快である。しかし、父は今何もわかっていないのだ。

私に不当な要求をすることも、たばこを吸ってしまったのも、すべて覚えていられないからなのだ。

 

取ってこいとしつこい父。

手に負えなくなった私は、会議中の母に泣きついた。

すると、叔母がすぐさま立ち上がった。

 

「病室は?」

「こっち」

 

その叔母の足取りには憤りが滲みでていた。

そして病室に入り、

 

「おう、兄ちゃん、元気?」

「おう……」

 

叔母が来た瞬間、父はたばこについて言及しなくなった。

うれしいやら悲しいやら。

暫くして、母と従妹が会議を終えて戻ってきた。

母は泣いたらしい。

病院側に、付き添いがいないならこれ以上置いておけないと言われたのだ。

 

横たわる父にむかって静かに怒る母。

言葉尻がゆがむ。本当に怒っているのだ。

 

それから、父を残してデイルームに向かった。

付き添いがいないならおいておけない、ならば付き添いがいればいい。

母は地元に帰らなければならないので、関西在住の私と叔母と従兄でローテーションで見張ることになった。

往復六時間かけて通うのは中々にしんどいが、職場に頭を下げながら電話をかけている叔母の姿を見て、文句が言えるわけがない。

 

私が申し訳ないというと、叔母は、

「何言よん。私にとっては兄ちゃんやし。他人やったら嫌やけど」

といった。

 

「私にとっては兄ちゃんやし、あんたにとっては父ちゃんやし、お母さんは好きで結婚したんやから」

 

という。

この言葉にどれだけ救われたか。

それから全員で話し合い、父を見張るシフト表が完成した。

 

3日夜 母

4日昼 母

夜 叔母

5日昼 私

夜 従兄

6日昼 叔父

夜 私

7日昼 叔母

夜 叔母

8日昼 私

夜 従兄

 

こうやって見てみると、私の配分は非常に少ないように見える。

しかし、しんどかった。本当にしんどかった。

まず5日は彼氏と会う予定だったのだが、断って看病の日にした。

6日は放課後病院に向かい、宿泊。父のいびきで寝られない。

7日は丸一日学校。8日は昼から病院へ。

 

父には毎回せっせとお土産を買っていった。

豚まんは蒸し方が気に入らなかったらしい。私がレンジでチンしすぎただけだと思うが。

5日は何を買ったか忘れたが、6日はみたらし団子とシュークリームを買っていった。

すると、血糖値が高くなっているという。たばこをやめて口淋しいからとずっと飴を食べていたのだが、それがよくなかったらしい。

 

「私みたらし団子とか買ってきたんやけど」

「あんたが食べんかい」

 

しかしその数分後、父は「饅頭でも食べよか」と言いだした。みたらし団子のことだ。

そして夜中に急に起きてシュークリームを食べ始めた。

良いのかわからないけれど、明日から辞めればいいか。

とりあえず、叔母と従兄に「血糖値が上がっているらしいので」とメールをした。

 

翌日はネットで血糖値のあがりにくい食べ物を調べて買っていった。

ゆで卵とピーナッツとチーズ。あと肉。

ゆで卵は気に入ったらしかったので、その次の日も買っていった。

 

父は、ぼけていた。

同じ会話を何度も繰り返す。

母さんは愛媛に帰ったの? うん、帰った。

そんな話をした数十分後に、「母さんは今どこにおるんぞ」と聞かれる。

頭がおかしくなりそうだった。

それは、見舞いがしんどいからとか、そういうことでなくて、私の定義する父が死んだからだった。

私にとって父は、普段は寡黙だが酒を飲んだら陽気になって、ギャグなんかも飛ばす面白い人で、食べることが好きで、たばこが好きで、毎日酒を飲んで毎晩22時くらいになったら腹を出してひっくりかえっている。それが、父なのである。

しかし今目の前にいる老人は、目はいつもどこかわからないところを見ていて、ほとんど笑わず、同じ会話を繰り返し、たばこの代わりに飴を食べている、変な老人だ。

 

脳の腫れが引いたら治るかもしれない。

その言葉を信じていた。その言葉にかけていた。

しかし同じ会話を繰り返すのはしんどい。

なので張り紙をした。

 

******

                お父様へ

お父さんは、頭をケガしているので、物忘れがあると思います。なので、大切なことをメモしておきます。

 

・船は傷病下船しました

手続きは母さんがやってくれたので大丈夫です

・タバコと酒は厳禁です

脳のケガに悪影響だからです。

喫煙すると物忘れ多いのが治らなくなります。

・財布は母さんが預かっています。

父さんの喫煙を止めるためです。治るまで返せません。財布がどうしても必要なら、頑張って治しましょう。

・病室から出てはいけません。

お父さんがいなくなると、私たちや、看護婦さんが捜すことになります。いろんな人に迷惑がかかります。

 

以上。頑張って生きましょう。娘より。

 

*****

できるだけわかりやすいように、句読点を多めにし、文字を大きめに書いた。見出しはすべて赤字で、あとは青い字で書いた。

効果は覿面だった。それから、父が脱走することはなくなった。

老いては子に従え

※別ブログに載せていた過去記事です

 

↓前回

osakanafurby.hatenablog.com

 

 

それから数日後。

彼氏とラーメンを食べていると、母から電話がかかってきた。

 

「今何しよん?」

「ラーメン食べよる」

「どこで?」

天一

「どこの?」

「狭山」

「もう、なんでそんなところおるんよ……今から父さんの病院行ってくれん?」

「は? 今から? なんで?」

 

聞けば、父がやらかしたと言う。

脳が腫れているから酒もたばこも厳禁。

喫煙すれば悪化するかもしれない。

なのに、父が喫煙したという。

叔母に頼んで財布を没収してもらったが、今度はテレビカードを換金してたばこを買ったらしい。

そしてまかさの病室内での喫煙。もう大迷惑だ。

母はいますぐ病院に行ってくれと言う。このとき時刻は18時。片道約三時間かかる。

終電のことを考えると30分といられない。そもそも私が行って何になるのか。そういっても母は

 

「ええけん、ええけんお願いじゃけん行って」

 

と電話口で繰り返すばかり。横で会話を聞いていた彼氏は、

「お母さん考えることを放棄してるな」といった。私もそう思う。

そりゃそうだ。散々親戚やら病院やら職場やらに迷惑をかけまくって、もう母は疲れ切っていたのだ。

 

仕方がないので、彼氏と別れて電車に乗り込んだ。

片道三時間。到着したときには既に21時を回っていた。

ナースステーションには数人の看護婦さんがいた。

 

「なんで呼ばれたんかよくわかってないんですけど……」

 

そう言うと、看護婦さんが説明してくれた。

まず父は脳が腫れているので、喫煙は厳禁。それなのに吸ってしまった。しかも病室で。タバコを買うために病室から脱走したこともあるらしい。

看護婦さんから渡された紙袋の中には、タバコ二箱とマッチ、それからはさみが入っていた。入院患者用の腕に付けるタグを切ったらしい。もういい加減にしてくれ。

そして、父はまだ小銭入れとタスポを持っている。それを取り上げるために私は呼ばれたらしい。そりゃ、病院側が財布を取り上げたら問題になりそうだもんな……。

 

病室に行くと、とっくに消灯時間を過ぎているというのに、父はベッドに腰かけていた。電気がこうこうとついている。父の目はどこを見ているのかわからない。足元には、踏むと音が鳴るセンサーがついていた。父はそうやって管理されていたのだ。

 

「もう父さん何しよんよ」

「おう、飯でもいくか」

「もう夜中よ」

「飯いくか」

 

すると、父は私が止めるのを聞かずに病室から出て行った。

慌てて後を追う。飯と言われても、もう夜中だ。どこも閉まっている。

そんなこともわからないのか。そんなこともわからなくなってしまったのか。

 

なんとも形容しがたい気持ちでいると、看護婦さんが出てきた。

もう閉まってますから、夜中ですから、と看護婦さんにいわれ「そうか」とやっと引き返す父。

 

「何か買ってきてほしいものでもある? コンビニやったら行けるけど」

「お前がお土産何を買ってきてくれたかによるが」

「何も買ってきてないよ。時間なかったんやけん」

「そうか」

 

この時のことを非常に後悔している。もう少し急げばお菓子の一つくらい買ってくる暇があったはずだ。手ぶらでやってきてタスポを差し出せというだけだなんて、愛想がなさすぎる。

それからは見舞いに行くたび何かしら土産を持参することにした。

 

「んでタスポどこにあるん」

「まあええやん」

「よくないって。何のためにきたんよ。」

 

仕方がないから、机の引き出しの中やロッカーの中を捜す。しかし見当たらない。

看護婦さんに聞いて、とりあえず小銭入れだけを預かった。終電の時間が近い。看護婦さんとお互いに頭を下げあって、その日は病室を後にした。

 

終電には間に合った。はずだった。しかしクソ田舎者な私は、尼崎で乗換に失敗した。

帰れなくなった。仕方ないので難波まで出てそこでカプセルホテルに泊まった。都会ってすごい。

父が倒れた

※別のブログに載せていた過去記事です

 

父が倒れた。父は船乗りなのだが、船内の階段から転落し、入院したらしい。知らせを聞いたときは驚いたが、屈強な父のことだから、大したことはないはずだ。なんせ、父は海の男なのだ。屈強な海の男だ。

 

そう思いはしたのだが、一応心配なので見舞いに行くことにした。転落した時たまたま関西にいたらしく、入院したのは兵庫の病院だ。兵庫ならさして遠くもない、そう思って電車に乗り込んだのだが、思った以上に遠かった。片道二時間かかった。往復で四千円。そして原因不明の停電で環状線が止まったため、足止めをくらい片道三時間。

 

幼少期、私はよく入院していた。お見舞いの時にもらって嬉しかったのは何だったか。父はグルメなので、下手に食べ物も買えない。そういえば、雑誌は結構嬉しかった。そう思い出し、人生で初めて週刊誌を購入し、病院に向かった。

 

たどり着いた病院は、なんだかどんよりしていた。悪天候というのもあったのだが、なんというか、こう、空気がどんよりしていた。そして久々にあった父も、どんよりしていた。父は寝間着を着ていた。驚いた。人生で初めて父の寝間着姿を見た。父はいつも、夜になると酒をしこたま飲んで半裸でひっくりかえっているのだ。

 

父 と母は、私を見て驚いた。そりゃそうだ。久々に会った娘の髪色が真っ赤になっているのだ(髪を一度脱色して真っ赤に染めていた)驚かない方がおかしい。父は「わしゃ余計頭が痛くなったぞよ」といった。

 

なんのこっちゃ。頭が痛い? 見ると、父は頭をケガしていた。骨折としか聞いていなかったので驚いた。縫ったらしい。脳が腫れているらしい。

先生と話すから、と母が席を立った。久々に見る父は、小さくなっていた。週刊誌を渡そうとしたが、すでに同じものが部屋にあった。不要になったので自分で読むことにしたが、すごくしょうもなかった。大人はこんなのがいいのか。(私ももう大人だが)

 

父はやけにゆっくりと話した。元々ゆっくりしゃべる人なのだが、いつも以上にゆっくりだった。そして、気づけば寝ている。起きて会話をしている時も、時々かみ合わない。聞けば短期記憶がないという。

 

なんだこれ、思ってたのと違うぞ。なんでこんなに重症なんだ。

 

父が寝てしまい退屈になったので、こっそりと病室の引き出しを開けてみた。書類が入っていた。「脳挫傷」とか「外傷性くも膜下出血」とか「高血圧」とか書いてあった。血圧は、たぶん酒のせいだ。父は一年三百六十五日毎日飲酒しているのだ。母から聞いたのだが、正常な人の肝臓の数値? を六十とすると、父のは三百らしい。

 

なんだそれ無茶苦茶じゃないか。もう酒もダメらしい。脳に悪いらしい。酒もたばこもやめるって、それもう誰だよって感じだ。

 

目覚めた父に「三時間と4千円かけて来たで」と言ったら、礼を言われて4千円渡された。そういうことじゃないのだけれど、もらえるものはもらっておく。

暫くすると、看護師(理学療法士?)の方がきて、リハビリをしましょうと言った。母についていけと言われたのでついていった。

 

リハビリ室には、人形が飾ってあった。病院には、いろんなところに人形や折り紙が飾られている。子供のころ、私はそれがとてもうれしかった。ここにいていいんだよと言われている気がしたからだ。しかし、今日はそれが嫌で嫌で仕方なかった。なんだ折り紙って。なんだ人形って。オトンを老人扱いするなよ。

 

言ったって仕方ないので、半泣きで(自分でももうよくわからないのだが)リハビリを見守った。

 

「目をつぶってください。これから足の指を触るので、どの指か当ててください」

 

そう言って、看護師さんが父の足の指を触り始めた。親指と小指の区別がついていなかった。

 

「なにぶんこういうことには慣れていないもので」

 

という父。そりゃ誰だって慣れてないわと笑った。

リハビリを終えて部屋に戻るとき、

 

「娘さんから見てお父さんはいつもと違いますか」

 

と聞かれた。違う。全然違う。こんなヨボヨボな老人は私の知っている父とは違う。私の父は海の男なのだ。屈強なのだ。屈強なはずなのだ。

 

次に眼科に行った。幻覚が見えているらしい。待っている間、母と昼飯の相談をしていたら、

「さっきの4千円返して。1万円あげる」

と言われた。6千円増えた。母が病室に財布を取りに行っている間、父に何度か話しかけたが、ほとんど応答はなかった。ずっと斜め上を見つめていた。そして「母さんは何しよんじゃ、遅いな」と三回ほどいった。

 

それから父を残して、病院を出た。母はこれから地元に帰るのだ。わたしも大阪に帰る。だいぶ心配である。

 

もらった1万円で、晩御飯を食べた。適当に入ったお店は、昔家族で行ったチェーン店。焼肉やケーキが食べ放題のお店だ。昔は地元にもあったのだが、つぶれてしまった。私の記憶にある、もっとも古い食べ放題のお店がここだ。

 

大好きなモンブランが食べ放題だなんて。お肉が食べ放題だなんて。まるで夢のようだった。ずっとどこのお店だったのか思い出せなかったのだが、やっと思い出した。そうだ、この店だ。

 

確かまだ幼稚園のころだ。肉より先にケーキを取りに行って、怒られた記憶がある。あの時と同じモンブランがあった。美味しくはなかった。お肉も全然美味しくなかった。ほとんど食べなかった。家族全員とのキラキラした思い出が、すこし壊れた気がした。

 

一万円からお釣りをもらった。結局、来る前よりも財布が潤った。潤ったはずなのに、何かいろいろ失った気がする。

 

気が重い。

 

父は仕事を辞めた。辞めざるを得ないよな。これからどうなるのか。大丈夫だとは思うけれども。心配することないとは思うけれど。ただ、病室で小さくなっている父のことを思い出すと、どうしても視界が滲む。

たくさんの服に埋もれて死にたい

 

私の母はファッションに理解がない。私が次から次に服を買ってくるのを見ては渋い顔をしている。

 

母「身体はひとつしかないんじゃけん」

私「一年は365日ある!」

母「毎日違うもん着なくてよろしい!」

 

とっさにこの切り返しができた私は天才かもしれない。いやなんでもないです。

先日、大阪で古着屋巡りをしてきた。胸毛(彼氏)と一緒に。

 

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たまたまセールの時期だったらしく、好きなブランドの服が安く買えた。満足満足。ネネットは可愛い。

 

夜には焼肉屋に行った。私が学生時代にバイトをしていた店だ。引っ越してからも、店長からしばしば電話がかかってくる。

 

「明日入れるかー!」

 

とか言われるので

 

「片道5時間かかるのでちょっと無理ですねー!」

 

と答えている。そして毎回、

 

「お前の彼氏が女連れて歩いてたぞー!」

 

と言ってくるので

 

「嘘ですよねわかってますからね!」

 

と答えている。楽しい。しかし記憶は風化するもの。ずっと会わなければやがてこの楽しい電話もかかってこなくなる。

と言うわけで店に行ってきた。ここの肉は特別美味しい。

 

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「これから彼氏と一発やるんかー!」

とか言ってくるので

「すでにやりましたよー!」

と答えたら店長は大爆笑していた。勿論嘘である。

 

翌日、あべのハルカスに向かった。

ぐわぐわ団(http://gwgw.hatenablog.com/)のまけもけさんから展望台のチケットを頂いたのだ。ありがとうございます。

 

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手に持っているのは、これまたまけもけさんから頂いたゆるい生き物図鑑。

 

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 ゆるい。

 

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このページだけハード。

 

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帰り。バス停から花火が見えた。

楽しかったです。

大阪に住みたい。